side B 7

 小説の中の私と作者である私は同じではないのですが、私小説のような作品を読み
ますと、主人公は作者そのものと思ってしまいます。
 能島廉さんの「競輪必勝法」の作中には、主人公の同年のいとこである競輪選手が
登場します。
 書き出しの一行目は、次のようになります。
「従兄弟の橋本良雄が競輪選手になってから死ぬまで、十二年の間に、私は、五度し
か会っていない。」
「競輪必勝法」といいながら、書き出しの一行目で、従兄弟である競輪選手は死ぬと
いわれるのですから、あまり先は明るくはありません。
「良雄は、極手の追い込みに冴えがあり、一流中の一流とまでは、いかないが、C級から
B級をとばしてすぐA級に特進し、そのA級でも強い法で、地元の代表として競輪ダービー
にも参加する位になったらしい。」
 良雄さんは、この作品の副主人公ともいえる存在です。私小説でありましたら、これの
モデルになるような方がいるのでしょうが、それはどうなのでしょう。
A級まであがった良雄さんは、その後にB級におちるのですが、それに重ね合わせて、主
人公がみずからのことをB級社員と自嘲気味にいうのでありました。
 それにしても、作者がえがく自画像であります。
「四畳半一間のアパートに、小さな机が一つ、古本屋も相手にしないというような学生
時代からの本が、二、三十冊。台所に、金ダライとコップが一つずつ、寒がりだから、
電気炬燵は月賦で買って、これと、三球のラジオが唯一の文化的所帯道具。服は、合着と
冬着を一着ずつの着替なし。洋服箪笥などというものの必要もなく、汗と垢のしみこんだ
冷たい万年床に、酒くさい溜息をつきながら、電気もつけずにもぐり込み、朝になれば、
布団を部屋の隅へ古新聞といっしょに蹴とばして、出勤という状態であってみれば、
貯金などのあろうはずがなく、会社の天引貯金も二千円とたまれば、すぐにおろして、
競輪の資本となり、大事な資本金でお酒をのむのが勿体なくて、すべて借金。その借金
が、計算するのも恐ろしい程ふえ、二千円、三千円のつもりが、二年もほっておいたら、
あちこちのをあわせてみると、二十万円はこしそうになっていた。こうなると、何も
手につかず、もうそろそろ競輪の神様が憐れをかけてくれるころだと、千円札持てば、
後楽園、川崎とうろつきまわるだけであった。よけい動きがとれなくなり、上役のしぶい
顔にも目をつぶり田舎の母が病気だ、引越しだと、考えつく限りの口実を、白々しく
言い立てて、会社に借金を重ね、あとは、十年つとめた退職金でももらわないかぎり、
どうにもならない状態であった。良雄の状態と殆ど同じであった。」
 年譜を見ますと、能島さんが小学館を退職するのは、入社十年後のことであります。
体調を崩して、療養生活にはいったの機に会社をやすむのですが、その後に作家に
なることを決意して退職することになります。
 小説のこのところを読みますと、会社を退社したのは、借金を返済するためには、
それしか方策がなかったのかもしれません。
 人からうらやましがられるような経歴の方が、身から出たさびのせいであっても
不幸に沈んでいくのを見るのは、平凡な人には溜飲がさがることであるのかもしれ
ません。能島さんの「競馬必勝法」は、そうしたことからは凡人にとって、貴種流離
のおとぎ話のようなものであるのかもしれません。