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昨日に引用した「孤独のたたかい」にあった能島廉さんの紹介文は、「en-taxi」付録に
転載されている阪田寛夫さん作成の年譜をもとにしているものと思われます。 
 紹介文のおわりのほうにおかれている「ふしぎな裂け目を見せていたが、友人たちは
彼の人柄に魅せられるに急で、そのことには深い注意を払わなかった。そんなに早く死ぬ
とは思わなかったからであろう。」というくだりは、阪田さんの年譜にないもので、これ
を書くにあたっては、「第15次新思潮『能島廉』追悼号」を参考にしたものでしょう。
 「第15次新思潮」は、旧制高知高校の仲間によって結成されたものですが、なんとな
くお行儀がよく思われる三浦朱門阪田寛夫と能島廉の作品世界の間には、ずいぶんと
大きな落差があるように思えます。
 「en-taxi」付録の「競馬必勝法」には、「第15次新思潮『能島廉』追悼号」にあった
同人である三浦朱門とやはり同人であった曽野綾子が文章をのせています。このお二人が
一番能島さんからの迷惑を被ったのかもしれません。
 三浦朱門さんは、次のように書いています。
「君にはすぐれた知力と体力にめぐまれていた。しかしまた、それと同時に傷つきやすい
デリケートな心を持っていた。この対立は君の生涯のテーマであったようだ。・・・ 
もし君がそれを世間に向かって文章で表現しえたなら、君は世にもてはやされる文学者に
なったはずだ。もし一人の女性に対して、それを現したなら、君は良き妻に恵まれ、その
結果、君の命を奪った病魔にとりつかれることはなかったであろう。」
 たら、ればであります。三浦朱門さんのほうが年長のせいもあって、能島さんを救くえ
なかった思いは、人一倍強かったのかもしれません。
「十四年近い君との交友を思う時、私は多くの悔恨に、思わず自分の胸を打ちたたきたく
なる。あの時ああすればよかった。この時はこう言えばよかった。しかし今は何もかも
手遅れである。」
 曽野綾子は、小学館を辞めた能島さんを「目白学園女子短大」に推薦するというので
ありますからして、とんでもなくすごいことです。なんといっても相手は、人の期待に
応えないことをモットーにしているような人でありますからして、塩一トンの友情であり
ます。