木田元さんの「私の読書遍歴」を読んでいました。木田さんには、「闇屋になりそこ
ねた哲学者」なんてのもあって、いろいろとわけありの経歴のようで、これはどうして
かと思っていたのですが、そのへんの事情がよくわかりました。
- 作者: 木田元
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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新京の記憶、海軍兵学校時代の教練・終戦体験、戦後の浮浪・テキ屋・闇屋体験の
ドタバタ」が縦糸で、その時期に読まれた本などが横糸で綴られています。
さすがに、海軍兵学校時代は、ほとんど本を読むことはできなかったとありました。
木田さんのお父上は、満州国の官僚で、それがために戦後は家族が離散して大変で
あったとありました。闇屋なんていうとよほどのわけありかと思うのですが、自分で
生活費を稼がなくてはいけないというわけでありました。
この時代の皇国少年は、成績優秀者ほど軍人養成学校への受験をすすめられたよう
であります。一番早いのは小学校を終えてから受ける幼年学校で、ここから軍人一筋
というのが一番のエリートコースでありました。指導的な軍人は、振り出しが幼年学校
で、仕上げが陸軍大学であると聞いたことがあります。
幼年学校をでた異色の人というと大杉栄ですが、文学者では加賀乙彦さんが幼年学校
にいっていました。ここでの生活を「帰らざる夏」という小説にしていますが、皇国
少年に施される集団純粋教育の話です。士官学校などは、旧制中学校をでてから入る
ものですから、同じ純粋でも、ちょっと違うのかも知れません。
木田さんは、自らの海軍兵学校への進学について次のように記しています。
「海軍兵学校に入ったなどというと、熱烈な愛国心の持主のように聞こえるだろうが、
それがそうでもないのだ。本当に愛国心があれば、中学二、三年から受験できた、
海軍なら予科練習生、陸軍なら少年航空兵を受けるべきで、実際そう薦められるもの
だった。しかし、これらはいわば下士官養成機関で特攻隊要員だった。ここにいった
のでは、とても生き延びられそうもない。それに比べると、中学四、五年から受験
する海軍兵学校や陸軍士官学校は士官養成機関なので、寿命は延びる。このあたりを
受けるのは、どちらかといえば日和っている感じだったのだ。」
- 作者: 加賀乙彦,リ-ビ英雄
- 出版社/メーカー: 講談社
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