シルバー・コロンビア 7

 堀田善衛さんの「スペイン430日」(ちくま文庫)は書き出しが77年7月で、納めは
78年9月12日(火)となります。
78年8・9月の日記には、次のようなことが記されています。
「8月11日(金)東京より電報、『ゴヤ』がA・A作家会議のロータス賞に内定。
       十月にタシケントへ行ってほしい由。・・
       それで、家内と話し合って十四日早朝にグラナダへ向かい、
       アパートをたたんでマドリードへ引き揚げ、一応東京へ帰ること
       にする。このマドリードでソヴィエトのビザを取ったりすることは
       面倒至極である。」
 なるほど、いったんスペインを引き払うのは、このようなことがあったからでした
か。すでにスペインはフランコ体制ではないのですが、それでもソヴィエトとは
ぎくしゃくとしていたのでしょう。
「9月3日(日) 原稿二十六枚でトメ。昨年の七月にこの国へ来てから書いた原稿
       『航西日誌』を含めて総計五三八枚なり。・・
 9月9日(土) トキオ、トキオと言っていると、トオキョウではない別の宇宙へ
       電話をかけているような気がしてくる。すべては安いヒコーキ切符
       を入手しようとしてのことだが、疲れてきたのでヤメタ。
       ヤメタについては、家内の入れ歯がまたはずれ、しかも支柱の小さな
       釘を洗面器のなかに流してしまったことが決定的となった。
        アンダルシーアの熱に追い出され、マドリードまで逃げ出すと、今度
       は東京まで逃げることになってしまった。」
 堀田さんは旅行ではなく、定住のスタイルで、一カ所にとどまって生活をするのです
が、あとがきでは「一緒に行ってくれた家内には迷惑であったかもしれないが、とも
かく北の方の牧場の村と、マドリードグラナダの三つの地点に住んで、約一年と三カ月
ほどすごした。」とあり、もともと堀田さんほどスペインになじんでなかった堀田夫人
には、たいへんであったことがうかがえます。
 この「スペインの430日」と並行して書かれていた「スペインの沈黙」には、次の
ようにありました。
「 ある作家といっしょに、ある外国を旅行して歩いたことがあった。
ホテルで、その友人の作家と話しをしているうちに、彼が目を伏せて、ぽそりと言った。
『こうして毎日旅行をしてあるくと、一生懸命働いている人がバカみたいに見えるね。』
と。
 それはたしかに極端な言い方というものである。目を伏せてでも言わなければ言えない
ような言い方というものでもある。とりわけて”バカみたいに”という表現を文字通りに
とってはならないかもしれないのであるが、そこに、しかし、何程かの真実が含まれて
いることもまた否定しがたいのである。・・・・
 人はときに自分の定住の地と生業をはなれて、責任のない目で人々の生活のありさまを
眺めてみることも必要なのである。すなわち、自身の定住の地においての、一生懸命に
働いている、そういう自身の姿そのものが、行きずりに通りかかった旅行者には、”バカ
みたい”なものに見えるかもしれないことを知るだけのためにも。」
 この時期は、お盆を中心とした勤め人も夏休みを取ったり、会社が一斉休暇をしたり
するのですが、スペインでの日本商社に人たちのことが、堀田さんの本でも話題と
なっていました。
「ヴァカンスに関して日本商社の人の話。ろくに休みもとれないし、高級住宅地の
アパートにいて、ヴァカンスに行かないことは肩身がせまく、一日中ブラインドをおろ
していかにもヴァカンスに行って留守です、といった顔をしてソーッと暮している、と。
ケチな話しである。」
 スペインでは、日本のモーレツ商社マンは「バカみたい」にうつるのですが、この時期
に帰省している人から、日々仕事にでている当方は、どのようにうつるのでありましょう
か。