シルバー・コロンビア 6

 スペインで取材をしていた頃の佐伯泰英さんは、もちろん文筆家になりたいと思って
いたのでしょうが、その当時に、今のように時代小説で有名になるとは思ってもみな
かったでしょう。まして、岩波「図書」に連載するようなことになるとはです。
 昨日に続いて「図書」8月号からですが、「最初に知り合った物書き永川玲二」の思い
出のくだりです。
「 私は、この永川から文章の手解きを受けた。今も覚えている言葉がある。
『原稿用紙でもいい、初校ゲラでもいい。一見して黒っぽく感じたら、こなれた文章で
はないということだ。』
 つまり辞書を引いてまで漢字を多用するな、文章は平易が極意、普段用いない漢字の
多用は避けよ、ついでに文章は形容詞から古びていく、最小限度にせよというのだ。」
 この教えをした永川さんは、結局のところ構想はあったものの作品を発表するにいた
らずで、終ってしまいました。
 現在の佐伯さんのありようは、その対極にありそうですが、それについての感想です。
「 永川は一字一句完璧に書こうとしてつっかえ、物語が先に展開しないのだ。
 後年小説を書き始めた私は最後まで一気に書くということを永川を反面教師にして
覚えた。気に入らなければ書き直せばいい。それでも駄目なら捨てる覚悟をするだけの
ことだ。この執筆のスタイルはワープロ書きに合う、ツールが文体を変えたと思う。
・・原稿用紙に肉筆では最初から完璧を目指すしか方策がなかったのかもしれない。
・・結局私は永川玲二の忠実な弟子足り得なかった。」
 永川さんは、晩年にはワープロを使っていたようでありますが、だからといって、
ツールの活用によってスタイルがかわるなってことはなしでしょう。そんなことで
かわるほど永川さんはやわな人ではないようです。
 佐伯さんの永川評です。
「 永川は一言でいえばボヘミアン、ヒッピー、日本人にしてロマ、話好きの自由人
だった。なにしろ博覧強記、あらゆる知識が豊かで聞く人を飽きさせない。訥々と
した英語、スペイン語、日本語、時にフランス語を駆使して議論は夜を徹して明け方
にまで及ぶ。・・議論が白熱して殴り合いの喧嘩になることも珍しいことではなかった。」
 丸谷才一さんにいわせると「放浪の王子のような」となるのですが、貴種流離という
ことでありましょうか。

永川玲二さんで検索をかけますと、次のようなものがありました。 
 http://ja.wikipedia.org/wiki/永川玲二
 http://www.asahi-net.or.jp/~cz9y-ngkw/tio.html
 http://agradesignroom.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-8dce.html