貨客船の旅2

 もともと貨客船の話題にしようと思ったのは、堀田善衛の「航西日誌」
筑摩書房を手にしたからであります。堀田さんは、晩年に近くなって
スペインに長期間滞在して、そのときの記録を発表していますが、
スペインにむかうのに船旅を利用しているのでした。これが76年の
ことでして、さすがにこの時代は、利用する船便がなくて、探すのが
たいへんであったとあります。
( 先日に購入した白水社Uブックス「山の上ホテル物語」には、この
ホテルが人材を育成するために長期でヨーロッパに研修にだすことが
記されていましたが、61年3月にヨーロッパに旅立っていますが、
これが飛行機を利用したとありました。『スイスエアーのDC6という
旧型飛行機で東京を出発、アジア廻りで、ギリシャに着陸・・・」
目的地のアテネまで、正味で二日かかったとのことで、乗客はたった
3人であったとのことです。この時代に飛行機で旅行なんて思いも
つかなかったことでしょう。)
 堀田さんの時代は、とにかく飛行機で時間をロスしないで移動する
というがよろしいとなっていましたがら、船でヨーロッパに向かうと
いうのは、よほどかわっているのでした。
 「はじめに船で行こうと思い立って驚いたのは、世界一の海運国で
ある日本に、ヨーロッパまで旅客を、多少なりとも乗せていく船が
一隻もない。という事実であった。もちろん、定期船などはあろう
とも思っていなかったけど、不定期の貨客船も何も、まったくないと
いうことにはいまさらのように驚かされた。・・
 廻船問屋の伜として生まれた私には、船でヨーロッパへ行くことは
生涯の夢の一つであった。」
 この時の代金等についての記載。
「 横浜港からロッテルダムまで約35間かかり、その費用は
一人につき米ドルで950ドルである。ということは、当円
レートで26万六千円であり、これを35日間でわると1日七千
六百円ということになる。それは、決して高いというものではない。」
 この時代に船でヨーロッパというのは、よほど船旅が好きであった
のかと思いますが、この船には、英国の年金生活者などがずっと
乗っていて、ただただヨーロッパとの往復の船旅を楽しんでいたのだ
そうです。