書林逍遥 4

 久世光彦さんは、好みのきびしい人であったように思います。バランス良く
本を読んでいるのであれば、正統派の学者さんとなっていても不思議でない
感じですが、小学校に入る前から「蚊帳の中で腋の下に冷たい汗をかきながら、
『半七捕物帳』を繰り返し読んだ。」というのでありますからね。
これはお行儀の良いいい子にはなりそうにありません。
 家庭環境からして、教育熱心であったと思われますが、兄上はそれこそ
優等生路線をまっしぐらであったようですから、そのおかげで、彼なりの
おちこぼれの人生をおくることができたのかもしれません。
 この「書林逍遥」(講談社刊)には、24冊の本があがっていますが、比較的
有名な作品が多くて、このリストからは、久世さんのおちこぼれ的な屈折感が
あまり感じられないことです。
 「久世光彦の世界」には、「久世さんが愛した作品」というリストがあって、
これには、小説10作品があがっていますが、このリストのほうが超マイナーな
作品への目配りが利いているように思います。
ちなみに作者で両方のリストにあがっているのは、小沼丹向田邦子川端康成
太宰治江戸川乱歩の5人であります。
作品としては、小沼丹の「村のエトランジェ」だけが、両方のリストに共通して
あがっています。
 「書林逍遥」のなかで、久世さんは「村のエトランジェ」について、次の
ように書いています。
「だいたい私は、会ったこともないのに<小沼さん>と言ったり、書いたり
する。そのころ馴染んだ作家は、<太宰><芥川><荷風>というように、
呼び捨てにするのが普通なのだが、小沼さんだけは、そのころも、いまも
<小沼さん>なのだ。つまり、そのくらい敬愛するたった一人の作家なのだ。
小沼丹なら、何でもいい。・・・・
 死ぬまでに『村のエトランジェ』みたいな、淡彩画の中に紅の花がひとつ
だけ滲んで咲いたような小説を、一篇でいいから書きたいと思っていた。
何から何まで好きで、この小説の最初の10ページ以上、私は暗誦していた。
その分、英語の単語や歴史の年号を暗記していたら、私の浪人生活は一年で
済んだかもしれない。」
 小沼丹「村のエトランジェ」に関しては、久世さんの最初の著書となった
「昭和幻燈館」に収録の真青な夏」という文章でも言及されています。
「大切に大切に持っていたつもりなのに、いつの間にか『村のエトランジェ』
を失くしてしまった。確か新書判の小さな本であった。」
 この「確か新書判の小さな本」というところは、どうして記されたのだ
ろうという誰かの文章を見たことがありました。小沼丹のこの作品を読んで
いるとしたら、みすず書房からでたものであるはずで、それは「書林逍遥」に
書影が掲載されていますが、「新書判の小さな本」ではないからであります。
これは、久世さんが本当に最初の版のことを忘れていたからか、それとも、
小沼さんの作品のことをいうに、「新書版の小さな本」といったほうが、
おさまりがよかったからでありましょうか。