書林逍遙 3

 「久世光彦の世界」の巻末にある久世光彦著作目録を見ますと、最初の単行本は、
「昭和幻燈館」でありますから、87年のことで、文筆家としては亡くなるまで20年
足らずでありました。この期間には、こうした文業のほかに、もともとの本業である
テレビドラマの制作等を並行して行っているのですから、恐ろしいほどの才能です。
 ドラマの制作も資料を集めて構想をねってと、本を書くの同じようなプロセスを
たどるのでありましょうが、それにしても、どのようにして時間を作り出していた
のでしょう。仕事を理由にして、他のことはできないと余裕のない生活をしている
サラリーマンは、爪のあかを煎じてという生き方です。
 まあ、できが違うといえば身も蓋もないことになりますが、次のようなところを
読むととうていかなわないという気分になります。
「 私は、蚊帳の中で『半七捕物帳』を読んだ。五歳か六歳のころで、平凡社
『現代大衆文学全集』の中の『岡本綺堂集』だった。暗いモスグリーンの表紙に、
剥げかけた金文字が不気味で、<半七>の他に『修善寺物語』も入っていたような
気がする。小学校に上がる前に<半七>と言うと、いまの人は驚くだろうが、
昭和の十年代には、そんなマセた子は幾らもいたものだ。みんな『真珠夫人』や
『良人の貞操』などという本を、親に隠れて読んでいた。私は、蚊帳の中で腋の
下に冷たい汗をかきながら、『半七捕物帳』を繰り返し読んだ。」
 「小学校に上がる前に「半七」を読むという、マセた子は幾らでもいた。」と
ありますが、幾らでもいたというのであれば、自分以外の具体的な人を例示して
ほしいとつっこみをいれたくなるのでありました。