文学全集と人事 2

 柴田光滋さんは、「昭和は文学全集の時代」と記しています。柴田さんは、新潮社
でかかわった文学全集のことを念頭にして記しているのですが、一人一冊という方針
の「新潮現代文学」(全80巻 78年〜81年)というのは、最近でもブックオフなどで
見かけることがあるものです。
 「昭和の文学全集」というと、質量ともに筆頭にあげられるのは、筑摩書房から
刊行のものでありまして、高校の図書館などには常備のセットであったでしょう。
 このシリーズは「現代日本文學全集」は三段組で、ページに字がぎっしりと
つまっているものですが、まだ、決してものが豊かでなかった53年くらいに刊行が
はじまったものです。
 この全集は、経営危機にあった筑摩書房を窮地から救うことになった企画ですが、
筑摩書房の三十年」でも、大きくとりあげられています。
「 編集会議の席上、臼井吉見が『国民文学全集』をやろうと提案した。純文学、
大衆文学の枠をはずして、明治、大正から昭和の現在にいたる日本文学の流れを
捉えようとする厖大な企画であった。この提案は、結局否決されたが、その理由は、
河出書房のような大型出版社ならともなく、三十名たらずの少人数で、財政難の
筑摩書房では無理だということであった。この企画を出したのは、この前年(52年)
の十一月から配本がはじまった角川書店の『昭和文学全集』が成功したことも動機の
ひとつになっていたかもしれない。横光利一の『旅愁』が第一回配本で、好調な
スタートを切り、苦境にあえいでいた角川書店を安泰にした。」
 角川書店からの文学全集というのは、いまは昔の話しでありますが、その初回
配本が横光利一の「旅愁」というのは、最近では考えることができないことです。
 筑摩書房が、一度没にした臼井吉見の企画を復活させてスタートさせたのが
現代日本文學全集」で、53年8月25日に「島崎藤村集」が刊行されました。
 再び「筑摩書房の三十年」から引用です。
「「現代日本文學全集」の内容見本を作るとき、・・年表を入れた。街頭で配って
も、捨てられないための工夫であった。この効果はかなりあって、”読ませる内容
見本”の先鞭をつけた。」 
 この「現代日本文學全集は、空前の売れ行きを示し、業界では略称の『現日』と
いう二字で呼ばれることになったが、全五十六巻で出発したこの全集を、途中から
編集を手直しして、全九十七巻に組み替えることになった。」
 この「現日」の成功により、神田小川町に社屋を購入して、事務所を移転する
ことができたのでありました。
 この「現日」から15年を経過して、刊行されたのが「現代日本文學大系」とな
ります。「現日」の成功のげんをかついで、同じく97巻、刊行日も8月となって
いました。これの内容見本は、以下のものです。