編集工房ノア「海鳴り」4

 編集工房ノア「海鳴り」、ここ数年は確実に山田稔さんの文章が掲載されています。
あと確実に掲載されているのは、社主である涸澤さんの文です。かっての号は、編集
後記のようなものでしたが、最近は読み応えのあるものが続いています。
 昨日に引用した川崎彰彦さんの葬儀についての文章のタイトルは「二つの葬儀」と
いうものですが、もう一つ話題になっている葬儀は、93年11月にあった庄野英二さん
のものです。この葬儀の時に、庄野潤三さんにあったのが、最初で最後ということで
書き出しとなり、庄野英二さんの葬儀の時の庄野潤三さんが描かれます。
 編集工房ノア庄野英二、至のお二人はおつきあいが深く、主要な作品をノアから
刊行されています。涸澤さんにとっての庄野さんといえば、まずは英二さんであり、
次いでは至さんでありました。
 今回の22号には、庄野至さんによる「潤三に別れを告げに飛んできた小鳥たち」と
いう文章が掲載されていますが、これは庄野兄弟の末弟が次兄をおくる文章であります。
 これには、庄野潤三さんの小説に登場する庄野文学の読者にはなじみの家族が登場し
て、それはそれで興味深いのですが、阪田寛夫のファンには、庄野潤三さんの葬儀に
際して阪田家のお悔やみの様子がうかがえるのが貴重であります。
「5年前に亡くなられた童謡『サッちゃん』などの作家阪田寛夫さんの長女内藤啓子
さんは、『実はいま、妹(大浦みずき=宝塚出身女優)が体を悪くして、入院して
いまして』と大浦みずきさんのことを、とても心配されている。」と、まずは記され
ています。
 次に記されているのは、葬儀における阪田さんの長女内藤啓子さんいよる弔辞です。
「『庄野さんに芸名を付けてもらった妹は、病気療養中で来られませんが、妹は潤三
さんを父のように慕っていました。亡父は、小学校、中学校、朝日放送庄野潤三さん
の後輩でしたから、庄野さんご一家とは家族ぐるみの親しいおつきあいをさせていた
だきました。』そのあと、『父は何かにつけて(庄野さん、庄野さん)で、私たちは
陰で庄野大明神と呼んでいました』などと、面白い言葉も続いて、私はそんな弔辞も
楽しく聞いていた。そのとき、病気療養中の大浦みずきさんは、十一月十四日に肺ガン
で亡くなられた。芸名を考え、大のファンであった潤三がいれば、辛い思いをしたに
違いない。」
 大浦みずきさんは、まだまだこれからというところで亡くなったのですが、実の父
である阪田寛夫さんが亡くなって5年を経て、庄野潤三さんとは先を争うように死の
床にあったのです。なんとか名付け親(実際の名は庄野さんの作品の登場人物から、
そして芸名も)である庄野さんが亡くなるのをまって、逆縁となることなく、旅立った
のでありますが、庄野潤三さんの葬儀で弔辞を読むのは、お元気でありましたら、
それは大浦みずきさんの役割であったといわれています。
 庄野潤三さん、阪田寛夫さん、大浦みずきさんは、天国で無事に出会うことはできた
のでしょうか。