大浦みずきさん追悼2

 阪田寛夫さんや庄野潤三の作品に登場する元宝塚のトップ「大浦みずき」さんの訃報
を聞き、昨日に続き、大浦さんの追悼の意味もこめて、大浦みずきさんについて書いた
阪田寛夫さんの文章などを引用することにいたしましょう。

 まずは、大浦みずきさんのプロフィール
「大浦 みずき(おおうら みずき、1956年8月29日 - 2009年11月14日)
宝塚歌劇団花組トップスターで、女優、エッセイスト、歌手・アーティスト。
本名は阪田なつめ(さかた・なつめ)。所属事務所はブルーミングエージェンシー
東京都中野区出身、出身校中野区立第八中学校、愛称なつめ、ナーちゃん。
公称身長168cm、血液型A型。
小説家阪田寛夫の次女として出生。家族は他に母と姉がひとり。」

 阪田寛夫さんによる「親の卒業」から(「 おお宝塚」文春文庫刊 )
「長女は母親の腹のなかにいる間から、ひっそりとおとなしかった。たぶん腹の中で
も、うつらうつらと夢見ていたのではないかと思う。
 次女は元気者で、思わぬ時におなかの壁を蹴ったりしていたらしい。だから私は男の
名前ばかり考えていた。そんな気持ちがふっ切れぬまま、届出の日まで適当な名が思い
浮かばない。困ってしまって、丁度一カ月ほど前に庄野潤三氏から送られてきたばかり
の小説『ザボンの花』から、好もしい登場人物の名前を無断でもらって届け出た。
たまたま誕生月日が、作中の人物のそれと同じでもあった。
ザボンの花』は、その前年の春から初秋まで日本経済新聞に連載された、三人の子供
と若い両親が住む、武蔵野の畑の中野一軒家のくらしを描いた小説だ。実際の庄野家の
家族構成とはすこし違って、三人きょうだいの真中が女の子で、名前がなつめだった。
・・・・すったもんだの末に次女が宝塚音楽学校に入学したことを、庄野さんに話した
ら、『こんどは、芸名を考えんといかんなあ』と言われた。
 その夏の終りに、名前ができた。
 庄野さんの住む生田の丘に自生してい赤い茎の植物を、あるひ次男の和也君がきれい
だからと掘ってきて、庭に植えた。名前も知らずに植えたのだが、意外に早く伸びて
大きくなった。庄野さんはそこから、鉛筆にかも似た姿を連想されたようだ。それで
まず姓名の『名』が、みずきと決まった。
 次に、万葉集柿本人麻呂の歌、
 み熊野の浦の浜木綿百重なす
 心は思へど直に逢はぬかも   
から『浦』の字を取って。浦みずき、と一応決めた。そこへ、結婚して当時は両親の
家の近くに住んでいた長女の夏子さん この人こそ、かって『ザボンの花』にでてきた
小学二年のなつめのモデル がやってきて、
『それなら大の字をつけて、大浦みずきにしたら』といった。大浦は、庄野夫妻と
こどもたちをモデルとする長編小説『夕べの雲』に描かれた、爽やかで愉快な家族の
苗字である。」 
 大浦みずきさんの死を伝える新聞記事で、彼女の写真を掲載していたのは、当方が
みたなかでは日本経済新聞のみでした。これは「ザボンの花」つながりということに
なるのでしょうか。
 名付け親の庄野潤三さんが9月に亡くなったときに、阪田寛夫さんの長女さんが、
弔辞を読んだとありましたが、健在でありましたら当然その役目は大浦みずきさんの
ものであったのでしょう。お姉さんは、庄野さんの葬儀に弔辞を読むに続き、妹さんの
葬儀では喪主をつとめることになったのでした。