編集工房ノア「海鳴り」3

 「海鳴り」22号には川崎彰彦さんに関する文章が、もう一つありまして、それは
編集工房ノア」社主 涸澤純平さんによる川崎さんの葬儀のレポートです。
 葬儀は、「大和郡山の町はずれの田園地帯、道路から内に入った、ひとかたまりの
小住宅地の中にあった。小さな二階家である。」で行われました。
「狭い玄関。二部屋と台所。表側のフローリングの部屋に、川崎さんのお棺が置かれて
いた。」とあります。ごくごく内輪の葬儀で、「限って知らされた約二十名が集まっ
た。」「近親者といっても、川崎さんより年長は、金時鐘さん、川崎さんと長年同人
雑誌を共にした広岡一さんだけで、後は川崎さんを慕う年少の者たちで、四十年まえの
大阪文学学校時代から始まっている。
 通夜といっても何もするわけでもない。」
 川崎さんの「遺言」には、「葬儀は皆で楽しくお酒を飲んでください」とあったそう
です。
 葬儀では、金時鐘さんが書いた「送る言葉」が読まれたとのことです。
「『まるい世界』の川崎彰彦は、光の輪であった。その光の輪の中に、いま川崎を慕う
者たちが集まっている。◯◯がいる、◯◯がいる、三十年をしぶとく生きてきた。」
 この「送る言葉」への涸澤さんのコメントは、次のとおりです。
「◯◯と書いているところに、名前をいれるように示してある。川崎さん行年七十六歳。
『三十年をしぶとく生きた』とは、四十八歳で脳梗塞を起こしてからの三十年。
当銘広子さんとの二十年も重なる。」
 川崎彰彦さんが「光の輪であった」というのは、まったく意表をつく表現でありま
した。
このくだりを読んだ時に、画家山口薫の遺作「おぼろ月に輪舞する子供達」という作品
を思い浮かべてしまいました。