本日は野呂祭り 4

 野呂邦暢さんの「夕暮の緑の光」を、手近においてながめています。
 本日の話題を提供してくれるのは、次の文章であります。
ボルヘス『不死の人』」
 書き出しは、本を買うために本を売るというものですが、それでも売りたくない本と
いうのがあって、それは「不死の人」という話なのです。不死の人」というと、普通で
あれば白水社からでた版を思い浮かべるのですが、年季の入った読書人である野呂さんが
とりだしてくるのは、まったく別の版でありました。
「 これだけはどんなことがあっても手ばなしたくない。そう思って残した本が今も
私の書棚に色あせた背文字をのぞかせている。篠田一士著『邯鄲にて』もそのうちの一冊で
ある。これを書くために押入れを探したのだが本の山に埋もれて見つからない。かわりに
清岡卓行著『詩と映画』が出て来た。いずれも弘文堂から出された本で、後者の奥付には
昭和35年とあるから、前者もそのころと思う。定価は四百五十円、現代芸術論叢書として
刊行された。朱色の表紙にタイトルの部分だけ白い紙を貼った洒落た装丁である。
『邯鄲にて』も装丁は同じだった。巻末に著者が訳したボルヘスの『不死の人』がおさめられ
ていた。私がボルヘスを初めて知ったのはこの本による。」
 
 現代芸術論叢書は、弘文堂時代の小野二郎の仕事です。当方がもっている「邯鄲にて」は、
バーのない裸本でありますが、野呂さんの文章にも「朱色の表紙にタイトルは白い紙」と
ありますので、カバーがついているよりも、裸本のほうが魅力があるように思います。
「邯鄲にて」はシリーズの4冊目で、刊行は「昭和34年8月20日」でありました。
編集の小野二郎さんは、翌年3月末で弘文堂を離れて、晶文社に活動の場を移します。
 野呂さんの昭和35年というのは、定職につかず家庭教師をしながら小説家を目指して
いた頃であります。 
 こうしたぎりぎりの生活のなかで、ボルヘスの作品と篠田一士に出会うのでありますが、
4月は篠田一士さんが、亡くなった月でありました。篠田さんについて、拙ブログで
なにか書きましょうと思っていましたが、機会がなくて、月がかわってしまいました。
野呂邦暢さんのおかげで、自然に篠田さんに言及することができました。