今年も山猫忌2

 長谷川四郎さんの命日を「山猫忌」として、長谷川四郎さんのことを話題にすること
にしています。昨日は、長谷川四郎さんのサインをとりあげようと思っていたのです
が、めったにすることのないサイン会について記した文章を引用しようと思って、
手にしてその本の編者あとがきに話しがいってしまいました。そこそこ眼にしている
のですが、読む片端から中身を忘れていて、いつも新しく読んだようは新鮮であります。
 「札幌函館サイン会」からの引用です。
「 こんどの札幌と函館におけるサイン会では時間殺しに、というわけにはいかな
かった。私の兄の長谷川海太郎がでてきてくれれば、彼が多忙をきわめて私は時間を
つぶすことができたろうが、故あって彼は出席できず、私がサインを一手に引き受け
ることになったからである。・・・
 うちあけて申せば私には現代の人気タレントの抱く恐れとはまた逆の恐れが無きに
しもあらずだった。つまりサインを求める人が一人もあらわれないのではないかと
いう恐れだ。
 私は売れない作家の見本のようなものである。考えてみればこれも当然だ。生活
必需品を作っているわけではないからだ。なくてもすますことの出来るものばかりで
ある。いまはやりの要素はまったくないといっていい。頭のてっぺんから足のさき
まで意識的にそうなのだ。ある友人がいみじくも批評したところによれば私は
『反時代的人間』なのである。わが存在証明はそこにあるのだ。初めから売れない
こと、金が入らないことは覚悟しているし、またそうあるべきものなのだ。」
 
 本が売れないという宣言でありますが、ご家族はたいへんでありましょうね。
それはさておき、これに続いてのところであります。
「 売れないのとさっき書いたが、買わない神あれば買う神ありで、私の本がちっと
は売れるのは、買う神あればこそだ。人はパンのみにて生きるものにあらずか、
おかげで『サイン会』はちょうどそれと見合った程度ににぎわった。・・」
 当方の引用のこれまでは、いわばオードブルのようなものでありまして、小生の
一番のおきにいりは、次のくだりであります。
「サイン会のおかげで札幌では天から降ってきたように私は燻製のシャケをもらったし
函館ではこれまた天から降ってきたようにベーコンとソーセージをもらった。ともに
単純にして豊富な食いものである。工場製品ではあるが漁師や農夫のおかみさんが
台所や納屋で手作りで作ったようなもので、これがなによりのごちそうなのである。」 
 なんのことはなし札幌で燻製のシャケを差し入れたのはいまから35年前の小生で
ありました。古いことだ古いことだ。