佐世保・長崎サイン会

 「佐世保・長崎サイン会」のことがでていたのは、岩波「図書」6月号の編集後記
「こぼればなし」であります。現在の「図書」編集長は坂本政謙さんでありますので、
サイン会の主は当然でありますが、佐藤正午さんで、サイン会は岩波からの新刊小説
「月の満ち欠け」刊行にあわせてのもの。
 佐藤正午さんは佐世保にお住まいでありまして、東京まででかけてサイン会をする
ような人とも思えませんので、サイン会が可能となったのは、佐世保、長崎という地
元が会場であったからでしょうか。
 坂本さんは、四半世紀ほど前に書店営業をしていたときに神保町などでサイン会の
お膳立てをしたことがあるようですが、その時代とは違っていて、しかも地方での会
とあって、集客に不安があったといいます。 
 その心配は杞憂に終わって、とてもあたたかい地元サイン会になったとあります。
 坂本さんの文章から引用です。
佐世保は佐藤さんが居を構えておられる街。地元での初のサイン会ということも
あって、会場となったくまざわ書店さんにはたくさんのファンの方が来場されました。
また、佐藤さんの高校の同窓生のみなさんや、行きつけのお店のスタッフといった顔
なじみの姿も。そんな列にまじって、リタイアされた他社の元担当編集の方が突如登
場するサブライズに佐藤さんが驚くという一幕もありました。
 曰く、『東京から来た僕が、いちばん遠くからでは?』
 『いえいえ。いちばん遠くからこのサイン会のために佐世保に駆けつけられた方は、
北海道は札幌からです』
 『えぇ?サッポロ・・すごいな』としばし絶句の元担当さんでした。
 ほかにも、兵庫や福岡からこのサイン会のために、わざわざ佐世保まで足を運ばれた
方がいらっしゃいました。」
 当方は、坂本さんのこのくだりを読んで、北海道の札幌から駆けつけられた方がいら
したことに、まるで違和感を感じませんでした。
 今はどうなっているかわかりませんが、以前に佐藤正午さんのファンサイトのような
ものをネットで公開していた方は、佐藤正午さんが札幌で学生生活を過ごしていた頃
から付き合いがあって、その方のつながりで、たぶん熱心なファンが札幌あたりにいる
ものと推測するからであります。
 佐世保といえば、1に佐藤正午で、2にジャパネット、はるかに開いて次 村上龍
いうのが、当方のイメージであります。
 佐世保・長崎サイン会と記して、1976年にあった長谷川四郎さんのサイン会のことを
思いだしました。長谷川さんが「札幌函館サイン会」というエッセイを残していますが、
これは「海太郎、四郎兄弟文学展」にあわせてでしたが、いわゆる新刊を購入したら、
サインをしてくれるというものではなく、四郎全集第4巻月報には編集室よりとあって、
そこには、「会場でのサイン会には、遠くからも熱心なファンが思い思いの本を手に
集まりました。」とあります。
 どのくらい遠くから来ていた人がいたのか、気になるところですが、1976年は佐藤
正午さんが札幌で学生生活を送っていたはずで、佐藤さんがこの展示を見ていたらと
想像するだけでも楽しいことです。
 ちなみに四郎サイン会で、当方が持参した本については、過去に紹介しておりまし
た。  http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20100424