長谷川さんの葉書 4

 長谷川四郎さんからいただいた葉書を話題にしています。
 以前にも記したことがありますが、その昔の子ども向けの雑誌には、連載マンガの
ページ枠外に・・先生にはげましのお手紙をかきましょうというよびかけがありまし
た。たぶん、当時の少年少女たちは、それに応えて漫画家先生にお手紙を書いたので
ありましょうね。
 当方はそのことが頭に残っていますので、本などを読んで面白く思ったらお便りを
しても良いのだと思っていました。現実にそのようなことをしたのは、ほんの数人の
方に対してだけであります。
 その一人が長谷川四郎さんであったわけですが、もちろんいきなりお手紙をさしあ
げたわけではありません。
 先日に、長谷川四郎さんのサインを掲げましたが、これをいただいた時のことが
きっかけとなります。長谷川兄弟文学展というのが札幌であって、それにあわせて
四郎さんのサイン会があり、そこでいただいたのが先日掲げたサインで、その時の
ことは、四郎さんが「北の話」73号(1976年6月)に寄稿となりました。
 そこには、サイン会のおかげで「札幌では天から降ってきたように燻製のシャケを
もらい、家にもって帰り、ケーパー醋をつけてくった」とありまして、これを差し入
れした当方は、これを読んで大いに喜んだのです。
( この時の様子のことは、以下のところでも記したことがありました。
http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20080420 
http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20100422   )
 4月27日にサイン会があって、その文章を7月頃に読んで、当方はこんなに喜んで
くれたのであれば、また何か送ってみてはどうかと思ったわけです。ところが、どこ
に送っていいものか、まるでわからず、そのときにひらめいたのが「新日本文学会
事務局でありました。これなら住所がわかるぞと思いました。何を送ったのでした
ろうか、前回よろこんでいただいた燻製のシャケであったのでしょうか。
送った時期は、まったく不明ですが、76年秋にはいってからではないかと思います。
 送ってからうまく届いたかなと思っていたのですが、何の反応もなかったので、
これは長谷川さんの手には届かなかったのだなと判断し、たぶん12月になってから
今度は晶文社気付で、ギフトを送ってみることにしたのですが、それが長谷川さんの
ところに届いて、お葉書をいただくことになりました。
これは1977年1月のことでした。