今年も山猫忌3

 長谷川四郎さん「札幌・函館でのサイン会」のことを話題としていますが、晶文
社版長谷川四郎全集第4巻の月報に、この時の用紙が写真入りで取り上げられていま
す。
76年7月となっている月報4の4ページでありますが、そこにはタバコを吸う四郎
さんの写真(函館のサイン会の合間のスナップ)と会場の模様(これは札幌の会場
風景)がうつっています。
 これに関する報告が「編集室より」ということで、以下のようにありました。
「 ご報告が遅れましたが、今回の「作者ノート」でも触れられていますように、
四月末から五月のゴールデン・ウィークにかけて、北海道は札幌と函館において、
長谷川海太郎長谷川四郎兄弟文学展』が開催され、長谷川氏もサイン会のために
北海道に行かれました。
 北海道新聞社と北海道文学館の主催のこの展覧会には、兄弟の小さいときからの
写真パネルや単行本などのほか、初代丹下左膳の衣装や生原稿、色紙などが展示され、
好評を博していました。また会場でのサイン会には、遠くからも熱心あファンが思い
思いの本を手に集まりました。」
 この文中にある「作者ノート」とは、四郎全集の著者あとがきのようなものであり
まして、全16巻の「作者ノート」をまとめたものは、晶文社から犀の本「文学的
回想」(83年6月刊)として刊行されました。

 これを機会に古い手帖をひっぱりだしてきました。76年4月の関係あるところを
抜き書きです。( これまで一度も読み返したことはありませんでした。このように
使うことがあるとは、当時は思ってもみませんでした。このとき当方は25歳であり
ました。四郎さんは66歳でした。)
「 76年4月23日(金) 今日より松坂屋で四郎展始まると聞き、どうようする。
   あしたにでもいこうと思ったけど、27日の日に休んでかけつけることとした。
    あってサインをもらえたらいうことなしだけど、こればかしはどうなるか
   わからない。
    4月27日(火)9時半頃、女性ばかりのバスにのって街にいき、センター 
   でサーモンをかって、さっぽろにいく。友人とまちあわせ、そしてごはんを
   食べ、三省堂から富貴堂とまわって、目的地松坂屋へ、すでにサイン会は
   はじまっていて、弟がきていた。彼はニコニコ顔で本を手にしていた。
    机にむかってサインしている姿( 注 もちろん四郎さんのこと)は想像  
   以上にとしが多く見えた。耳が遠いみたいな感じも受け取れたのだけど、
   これは気のせいみたい。あんまりサインをとりに来ている人がすくないから、
   ずいぶんていねいに書いてくれた。もうすこしで色紙も手にできそうだった
   のだけど、こっちのほうは残念でした。」
 35年のある日のことですが、会場が松坂屋であったとは記憶からとんでいました。
 「もうすこしで色紙も手にできそうだった」とあるのは、どういうことだったの
 か、これはわからなくなっています。
 サーモンとあるのは、差し入れのしゃけの燻製のことであります。
 「思い思いの本」とありましたが、当方が持参したのは、みすずからでた「鶴」
の裸本とロルカの「ジプシー歌集」2冊でした。ジプシー歌集の1冊は、知人から
託されたものでありまして、当方はあわせて三冊もサインをしてもらったことに
なります。
 当方の弟は、何にお願いをしたのか、また友人は何に、これがまるでわかりませぬ。