国語の教科書18

 どうも当方の頭のなかでは、丸山真男という名前と庄司薫というのが直接に
つながっているようです。
 国語教科書で丸山真男の文章を読んで、なるほどとは思ったのですが、だからと
いって丸山真男のものをもっと読んでみようということにはなりませんでした。
 丸山への関心が深くなったのは、庄司薫が積極的に発言していたのを眼にした
からでありましょう。最近は、まったく作品を発表することもなくなっている
ようですが、庄司薫さんは、一時期はけっこう若い人に影響を与えた作家であり
ました。その昔であれば、高等遊民という存在をほうふつとさせる庄司薫さんの
存在でありますが、学者にならなければ、なにもせずに本でも読んでくらそうかと
いう生き方です。(結婚せずに、一人暮らしをしていたら、文字通りの遊民であり
ますが、生活力の在る方と結婚したことによって、こちらの見る目がかわって
しまいましたが。)
 庄司薫さんは、大学で丸山真男さんの講筵につらなっていましたが、知的な
スタイルとしては、丸山よりも年長にあたる林達夫さんの流派であったように
思います。薫くんが登場する作品には、林達夫さんがモデルとなっていると思わ
れる人物が登場します。
 林達夫さんの最初の文庫本は中公からでた「共産主義的人間」でありますが、
これの解説は、庄司薫さんが書いています。
「 このような『日付への注目』をもって林さんの全著作を読む進んでいく時、
ぼくたちは、たび重なる戦争を含む動乱の四分の三世紀を通じて『知的である
こと』を貫いた、林達夫という驚くべき柔軟でしかもしたたかな一知性に、
確実にめぐり会うことになるだろう。」
 「柔軟でしたたかな知性」というのは、庄司薫の目指すところではないかと
思うのですが、そうした時の先行者トップランナー林達夫さんとなるので
しょう。
「 ところで、その『知的であること』についてだが、・・ぼくは前に『赤頭巾
ちゃん気をつけて』という小説のなかでこんなことを書いた。『知性というものは、
すごく自由でしなやかで、どこまでもどこまでものびやかに豊かに広がっていく
もので、そしてとんだりはねたりふざけたり突進したり立ちどまったり、でも
結局はないか大きな大きなやさしさみたいなもの、そしてそのやさしさを支える
限りない強さみたいなものを目指していくものじゃないか、・・』そして『知性
とはただ自分だけでなく他の人たちをも自由にのびやかに豊かにする・・』」
 林達夫丸山真男庄司薫とならべてみると、薫くん世代は、丸山よりも
林達夫に親近感を感じていることを意識するのですが、それは東大法学部という
権威の象徴的な存在と、高等遊民というような存在の違いからくるものでしょうか。

赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)

赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)