朝日ジャーナル 82

 80年に創刊された「ブルータス」がポップカルチャーというのを売りにとしていた
ときに、正統派のカルチャー雑誌と思われていたのは「朝日ジャーナル」でしょう。
 「朝日ジャーナル」もまた、他に類似誌がない雑誌でした。1959年に創刊された
とのことですが、創刊当時には、この週刊誌を知ることがなしで、定期的に手にする
ようになったのは、60年代後半からのことでした。70年代初頭の朝日新聞社には、
保倉幸恵さんが表紙カバーガールとなる「週刊朝日」(川本三郎さんの「マイバック・
ページ」が映画化されるそうだが、保倉さんは、どなたが演じるのでありましょうか。
http://movie.felista.jp/e1067.htmlすでにこの映画のキャストが公開されている
ページがありました。忽那 汐里(くつなしおり)さんというお若い方だそうです。)
と、赤瀬川原平の「櫻画報」が評判となった「朝日ジャーナル」がならびたっていま
した。赤瀬川の「櫻画報」は、その後単行本となって新潮文庫に入った傑作ですが、
この赤瀬川が、アカイアカイと表紙をつくったことにより、その号が販売停止へと
追い込まれたりしたこともありました。この頃が「朝日ジャーナル」の一番良い時代
でありまして、それからは販売部数も落ち込んだとありました。
 68年くらいの「朝日ジャーナル」は、まるごと保存している号はたぶんないので
ありましょう。ばらばらにしてスクラップされている中に、当時の号のページが
残っているようです。
 「朝日ジャーナル」が表紙から最後まで、そっくり保存されているのは、80年代
はじめにでた別冊特集号「ブックガイド」です。80から82のもの三冊がすぐに
見つかりましたが、ここでは、表紙が美しくて特集も話題としやすい82年3月の
特集「ペーパーバックの世界」を紹介することにいたしましょう。

 この号の冒頭にある目次頁にある「編集部から」は、次のようにかかれています。
「ゼロ成長という、戦後かってない難局にあえいだ昨年の出版界で、逆にめざましく
伸びた刊行物があります。推定発行部数が、なんと前年比27.3%増の8250万冊に
達した文庫、7.9%増の5982万冊に及んだ新書がそれです。文庫、新書をあわせると、
書籍部門全体の発行部数の実に三分の一。まさにペーパーバック時代の到来です。」
 「戦後かってない難局にあえいだ昨年の出版界」というのは、リーマンショック後の
ことであるかと思いますが、これは82年に書かれたもので、いま考えると、あの時代
はまだよかったとなるのかもしれません。