国語の教科書12

 筑摩「現代国語」2年の教科書に掲載の教材で、使われなかったものがずいぶん
とあるようです。授業で使われたページには、なんらかの足跡が残っていますので、
次のような単元は、きれいなままでありました。
 清水幾太郎 「が」を警戒しよう
 池田潔    一台のエレベーターから
 坂田昌一   科学の現代的性格
 岡本太郎   民族の生命力
 藤森栄一   鐸を追う少年
 
 授業ではやらなかったのですが、教科書にのっていて、ちらっとでも見るので
しょうか。坂田昌一さんは、湯川、朝永についでノーベル賞を受けるだろうという
ような記事を眼にしましても、この人は、そういう人であるのかと思ったものです。
昨年に益川、小林の両氏がノーベル賞を受賞した時に、真っ先に言っていたのは、
師である坂田先生が受賞できなかったものをというものであったように思いました。
 それにしても、あの時代に湯川秀樹朝永振一郎坂田昌一とよくも才能が揃った
ものです。
坂田昌一さんの文章の終りにおかれているのは、次のようなものです。
「 現代の科学者を悩ませている最も深刻な問題は、科学の成果が科学者の意図と
無関係に戦争に用いられ、それでなくても悲惨な戦争をますます残酷なものとして
いる事実でありましょう。なかでも原爆や水爆のごとき大量殺戮兵器の出現は、
たとえ原子物理学者に直接の責任はないにしても、強い道義的責任を感ぜしめずには
おきませんでした。このような自覚も、科学史上かってなかったことであります。
アインシュタインとかジョリオ=キュリーのような偉大な科学者が、平和運動
先頭にたって活動しているのは周知のところでありますが、科学者のなかに、世界
平和をいかにして守るかという問題と真剣に取り組む人がますますふえていること
も、現代科学の特徴的性格の一つでありましょう。」
 コンピュータソフトを開発した技術者が、そのソフトは犯罪を助長するもので
あるので、開発自体が犯罪的といって刑事罰に問われた事件がありましたが、
それであれば、国家のためとはいいながら、大量殺戮兵器を開発した学者たちは
どうなるのであろうと思うまでもなく、当時の学者たちの問題意識のなかにあり
ました。
 それとくらべると、「現代のコンピュータ技術者のなかに、世界平和をいかに
して守るかという問題と真剣に取り組む人」たちは、どのくらいいるのでしょうか。