国語の教科書5

 当方が高校に入学したのは66年4月ですから、戦後20年は経過していますが、
考えようによっては、今から考えると戦争はちょっと前の日本の話であります。
この当時の教科書は、当然のことながらそうした時代のものであります。
とはいっても検定済教科書ですから、声高に反戦を訴えるようなものはあるはずも
ありません。
 筑摩書房「現代国語1」でもっとも若い書き手は、谷川俊太郎であります。
他の書き手は、旧字旧かなが似合いそうなかたばかりで、当時の当方にとっては、
祖父母の世代の方ばっかりですが、谷川俊太郎ばかりは、父親よりもずっと若い
と感じました。
「 ぼくは夏という季節が好きなので、自分の体験の中でも夏は大きな位置を占めて
いる。『メゾンラフィットの夏」は、マルタン=デュガールの『チボー家の人々』に
出て来る夏、『淀の夏』は、ぼくほ母のさとである京都府淀町の夏で、敗戦をぼくは
そこで迎えた。関西地方特有の白い反射の激しい砂地や、中学校の体操の時間の少年
たちの裸身が、今も記憶に残っている。」
 教科書の文章で「ぼく」なんてのが登場するのは、谷川俊太郎とかが最初でありま
しょう。( 同じ時代に上の学年の教科書には、大江健三郎さんがぼくという表記で
登場したはずです。)若い詩人の感性に、自分たちと近い物を感じたものです。
 中島健蔵は「読書の孤独」というものですが、これは今読んでもそうそうとうなずく
ところがあります。登場する文学者は「ドストエフスキー」「シェンキウィッチ」
「メレジュコフスキー」「ニーチェ」「ボードレール」「バレリー」といった面々で、
はじめて聞く名前ばかりでありました。
「 電車の中でこれを読んでやろうと思って、本を持ってでる。あいた席に腰をおろ
して、さて読もうとして本を開いたとたんに、『やあ。』と声をかけられる。知人が
隣に腰をかける。相手にならずに本を読むのは無作法である。しかたがないから
本を閉じて話し相手になるが、その時はわりきれない気持ちであろう。少し話して
いるうちに相手も本を出す。話がとぎれたのを機会に向こうが本を読み出してくれ
れば、思わずほっとして、自分も本を開くことになる。・・
 相手が本を読みたがっている時には、なるべく静かに読ませておくこと、そして、
できれば自分も本を読み出すこと。読書人の孤独を尊重するのも、時と場合によっては
礼儀の一つである。」
 中島健蔵は、この教科書に登場したときには60歳をすこし超えたくらいでありま
した。フランス系で洒脱な文化人というのが、当方の印象でありますが、当方は、
教科書で読んだこのくだりが記憶に残っているものの、その後著作に親しむことは
ないのでありました。