本をならべる 2

 本をならべるといっても、図書館ではありませんので、図書館分類にしたがう
必要などはなくて、自分なりの基準でならべたらよろしいのでしょう。
本をならべるというと、書架にならべることを思いうかべるか、それとも目録に
ならべるかですが、どちらも人に見せようとしますと、頭をつかわなくてはいけ
ないようです。
 古書目録で手がかかっていることで有名になった「月の輪書林」のものは、
一人の人物を軸にして、その人からひろがるネットワークのありようが見て取れる
ようにして目録はできあがっているのですが、そのネットワークをつくりあげて
いくキーとなるものを見つけ出すのも楽しいものであります。補助線をひくことに
よって見えてくる図形問題のようなものです。
 公開している個人文庫なども、文庫を作りあげた人の頭のなかの作りを見える
ようにしたものかも知れません。
山口昌男「本の神話学」の冒頭におかれている「二十世紀後半の知的起源」という
のは、フランクフルと時代の「ワールブルグ研究所」とその文庫へのオマージュで
ありますが、これについて書かれたピーター・ゲイの「ワイマール文化」(みすず
書房刊)に言及しています。

ワイマール文化 (みすずライブラリー)

ワイマール文化 (みすずライブラリー)

 この「ワイマール文化」は、いまでは訳者がかわって新版がでていますが、
この文庫は、アビ・ワールブルグの手によって大変刺激的な蔵書をもち、それを
独創的な並べ方をしていたとあります。
 このワールブルグ文庫の価値を旧訳では、決定的な誤訳をしていると山口さんは、
批判をしているのですが、「本の神話学」にある、山口さんの訳では次のように
なります。この引用文でわたしとなっているのは、ザクスルのことです。
「 これは(誘惑に満ちていて)危険な蔵書です。私にはこのような蔵書には、
初めから近づかないか、さもなければ長い年月にわたって呪縛されるかのどちらか
の途しかないようにおもわれます。」
 この部分を旧訳では、次のようにあるとのことです。
「 この文庫は、危機にひんしていいる。この状態を完全に救うためには、私がここに
数年間とじこもらなければならないだろう。」
 このくだりを致命的であると、山口さんは指摘するのですが、この旧訳書にある
「危機にひんしている」とか「この状態を完全に救うために」「数年間とじこもる」と
いうのは、当方のような貧しい蔵書には、よりいえることなのかも知れません。