宮内嘉久追悼

 本日の新聞夕刊を見ましたら、建築評論家 宮内嘉久さんの訃報がのっており
ました。13日に脳梗塞で亡くなっていたとありまして、故人の遺志で葬儀は
行わないというのは、これまでのスタンスからわかるような気がします。
 著書に「建築ジャーナリズム無頼」「前川國男 賊軍の将」などと紹介されて
いました。
 当方のブログでも、これまで数回、この方については記したことがありました。
( 一番最初は、以下http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20070610 )

建築ジャーナリズム無頼 (中公文庫)

建築ジャーナリズム無頼 (中公文庫)

 建築評論家という、いまでもそんなジャンルがあるのかというような世界で、
長らく批評の場を提供するとともに、みずから執筆を行っていました。
この方の著作を、まったくの門外漢である当方が手にするようになったのは、
やはり晶文社のおかげであります。ものづくりのというジャンルのなかに「建築」
というのがあって、ここから宮内さんのものがでていたのでした。
 晶文社からの最初の一冊は、「廃墟から 反建築論」(76年刊)となります。
これの紹介文には、次のようにあります。
「 B29の飛び去ったあと、青空のもとにひろがる廃墟こそ、まぎれもなく我われ
自身の都市だった  皇居端の『美観論争』三里塚空港、新宿の高層ビル群と、
金属とコンクリートに覆われ、私有化された都市とその空間を鋭く批判、民衆の
側からの都市革命をめざす。」
 この時代には、えらく大時代的なキャッチでありますが、76年くらいには、
これでも全く違和感がなかったと思われます。
この「廃墟から」というのは、宮内さんが発行されていた「ミニコミ」誌の
タイトルでもありました。この本のあとがきには、次のようにあります。
「<廃墟から>という誌名は、ぼくのなかでごく自然に生まれた。なぜ廃墟なのか、
は『はじめ』で書いたつもりである。B5判四ページ(二つ折り)、横組タイプ
印刷(一号当り原稿=四百字詰十六枚)の形をきめ、中身は・・気のむくままの
『手紙』を軸として、それと一緒に心に触れた文章を(あえて無断借用して)編集
することとした。個人責任で編集し財布に見合う形で発行する小冊子<廃墟から>
は、こうして1970年10月上旬に具体化の段取りが固まった、それを『商品』に
するつもりは始めからまったくなかったので、奥付には『不価売文』と入れること
にし、第一号はわがテキとの『共闘成立記念日』にだすことにきめた。」
 今の時代は情報発信というとネットでありますが、この時代には、活字にして
印刷をすることがなければ、メッセージは届かないのでありました。
ミニコミ」という言葉自体が、死語となりそうであります。
 上に引用した文章に続いて、さらに具体的な作業工程が記されているのですが、
これはまた明日に。