大浦みずきさんには、「阪田寛夫の娘でよかった」(婦人公論 05年6月)という
文章があります。これのコピーが手元にありますが、この文章の見出しのリード文に
は、次のようにあります。
「 童謡『サッちゃん』の作詞者で、芥川賞作家の阪田寛夫さんが逝った。阪田さんの
次女は、元宝塚トップスターで女優の大浦みずきさん。
「お前は、オレに似ているから』が口癖の父を看取ってひと月、大浦さんが語った父と
の思い出とは」
大浦さんの文章の書き出しは、次のようになっています。
「 父は一年半ほどの入院を経て、この3月22日に79歳で永眠しました。実はわが家
は母も脳梗塞で記憶のほうをやられてしまいまして、5年くらい前からは父が、母の
身の回りの世話をしていたんです。
それでがんばりすぎちゃったのかもしれません。父は『これは罪滅ぼしだ』と言って
いました。母にはこれまで迷惑をいっぱいかけてきたから、『ひとりでがんばる』っ
て。・・気質的には父はもともと鬱気質できた。私たちは『オオカミ老年』って呼んで
いたんですけど、すぐに『オレはがんだ』とか『オレはダメだ』って言うのが口癖で。
昔からそんな調子でしたから、誰も取り合いませんが、ダメだ、ダメだと自分を追い
込んでしまったのでしょうか。
それでも一昨年の春までは、執筆意欲にあふれていました。母のことを書きたかった
ようです。その頃、母の病状がものすごく悪くなり、緊急入院させたんです。その病室
でも、大学ノートに何か書きつけていました。どなたか、奥様が亡くなられてから奥様
のことを書かれた方が知り合いにいるらしく『オレは生きているうちに書くんだ』と
いって。」
ここにある阪田さんの文章(遺稿)は、亡くなったあとの05年5月号「群像」に掲載
された「鬱の髄から天井のぞく」のことでしょう。この文章は、講談社文芸文庫で読む
ことができます。
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いうのは、どなたのことでしょうか。なんとなく古山高麗雄さんのように思えますが、
「妻に迷惑をいっぱいかけてきた」ということでは、阪田さんと古山さんとでは比較に
ならないように思いますが、じっさいはどうであったのでしょう。
「(母の緊急入院)時は、母が危篤状態になり、父が母の手をとって賛美歌を歌うと
いうシリアスな一幕もあったんですが、なんか、こう、抜き差しならない状況に陥り
そうになると、笑える方向にもっていこうとするのがうちの家族の常でして。その時も
誰が言い出したのか、危篤状態の母の周りで家族がピースサインをしている記念写真を
とっているんですよ。現実におこっていることが、信じられなかったのかもしれない
ですね。みんなで信じまいとしたのかもね。」