大浦みずきさん追悼3

 大浦みずきさんは、作家 阪田寛夫さんの娘さんでありますが、知名度はお父さんと
は比較にならないほど高いと思われます。当方のブログで阪田寛夫さんについて言及す
るのと大浦みずきさんについて記すのでは、数倍のアクセスがありますからして。
大浦さんは、デビュー当時こそ阪田の娘さんといわれたのでしょうが、後年には阪田
さんが大浦さんの父といわれるようになったのでしょう。
 阪田家の家族にとっては、寛夫さんは「シャイ・ファーザー」ということになります。
阪田寛夫さんには、小説「ロミオの父」という作品がありますが、この中で、阪田さん
は次のように記しています。( この作品の前書きには、「『文学界』75年3月号に
小説作品として発表したものです。『彼』をほぼ著者としてお読みください。」とあり
ます。)
「 家の中で『てれや』の要素が少ないのは彼の妻だけだ。ということは、子供らの
『てれ」のもとはみんな彼の性質や生き方にある、という見方もなりたつのであった。
彼自身もてれやだと思っていないわけではないが、こんど妻と一緒になって次女の
『てれ性』を責め立ててみて初めて、彼は自分の性質が、自分で思っていたよりは
何十倍か、妻にとって因業なものであったことがわかってきた。」
 「シャイ・ファーザー」というのは、阪田さんの文章のタイトルにもなっているの
ですが、もともとは、庄野潤三さんの著作のなかにある言葉だということです。
「 庄野潤三さんの昔の随筆のなかに、シャイ・ファーザーという言葉がでてきた。
小学校の学芸会に、女の子が舞踊劇『浮かれバイオリン』の胡弓弾きになって、いま
舞台で踊っている。見物に来ている父親は、周りの父兄たちから、自分があの子の父親
であることをなんとなく、悟られたくない心境でいる。母親の方は、もっと前の、よく
見える席にいってしまうのに、父親は一人うしろの席にいながら、なおかつあたりを
はばかる風情なのだ。
 こんな心境を、庄野さんは『シャイ・ファーザー』という言葉に託していた。
そんなに面映ければ見に行かなければいいのに、やっぱり心配で万障繰り合わせて小学
校なり劇場へなり出かけていくところが、おかしい。他人事のように書いたが、娘が
宝塚の初舞台を踏んでかなりの歳月も過ぎたというのに、私はなかなか『恥ずかしがり
やのおやじ』の心境から自由になれない。」
 昨日に引用した大浦みずきさんのプロフィールにエッセイストというのがありまし
たが、大浦さんは、何冊かの著書があります。最初の一冊は次のものです。

夢・宝塚

夢・宝塚

 この本の帯には、次のようにありました。
「 宝塚を去ると決意した今、こうして連載が一冊の本になりました。
 私の宝塚生活のフィナーレを飾るには、豪華すぎるパレードのようです。
 最高に幸せ者のタカラジェンヌがいたことを、ここに書き記しておきます。」
 この著書のなかで、自分の芸名については、こう書いていました。
「 大浦みずき。後の調べてもらった姓名判断では、とても根性のあるいい名前だ
そうで、根性なしの私の性分を分って、つけてくださったのではないかと、改めて感謝
しています。自分でも、あれこれ考えていた、憧れの芸名だが、いざついてみると、
嬉しいより、恥ずかしい気持ちのほうが強かった。
 実は、未だに自分で芸名を名乗るのが、テレ臭いのである。
 私はシャイなのダ。」