本日は大寒 3

 どういうわけか大寒を過ぎてから、寒さがゆるんでいます。例年になく早くに寒気が
襲ってきたといっていたのですが、ここ数日はずいぶんと過ごしやすくなっています。
 長谷川四郎さんの「シベリア物語」には、シベリアに抑留されたことについての
恨みがましい記述が、ほとんどありませんので、ずいぶんと楽な抑留生活を送っていた
ようにも思えるのですが、もちろん、そのようなことはないのであります。 
 シベリアの収容所は、場所によってはとんでもなく寒いところがあったようで、そう
いうところに送られた軍人たちの死亡率は、他よりも高かったようであります。
 高杉一郎さんの本に引用されているラーゲリに収容されていた日本人の手記から。
「ここの冬は、おそろしく寒い。ここへ送りこまれた者は、生きては帰れない。
私は数百名の戦友といっしょに深い鉱山に入れられて、錫を掘った。この地方の気温は、
つねに氷点下50度から60度だった。永久凍土の鉱山でのわれわれの労働は、シャベルで
掘った土をトロッコに積み込むことだった。糧秣は一日に800グラムの黒パンとときたま
塩づけのキャベツとニシンがでた。健康は日一日と悪化し、脚にはみどりいろの斑点が
でた。あきらかに脚気の症状だった。
 鉱山では、しばしば落盤が起きた。天井から大きな石が落ちてくる。私は、こんな
ふうにして生きているよりは、石の下になって死んだほうがいいとよく思ったもの
だった。」
 寒さだけでも尋常ではないところにもって、強制労働であります。こうした日々の
なかで希望をもって生きるというのが、いかに大変なことであるのかと思います。