老年の文学7

 それにしても、小島信夫さんは、どうしてこのような小説を書くようになった
のでしょう。自分の生理にしたがって書いていたら、自然とこのようなことになった
ということでしょうか。
 辻邦生さんは、創作ノートでかっちりと構想を固めて、それから書き始めるような
タイプであるようですが、小島信夫さんだっていきあたりばったりということでは
ないのでしょう。なのに、ほとんど考えていないかのように見えるのがすごいと思わ
れるのでした。こういう世界を許すことができるかどうかですが、
 90歳の作家が、自分の数少ないと思われる読者にむけ送られたメッセージのような
小説が「残光」でありまして、これが新潮文庫に入るというのが奇跡のように思い
ます。小島信夫さんは、せいぜい百人の理解者がいればいいと感じていたのでは
ないでしょうか。
 当方は、どちらかというと筋のない小説は不得意であるのですが、小島信夫さんの
熱心な読者は、小島作品を自分のなかに消化して、小島さんが、旧作をパッチワークの
ように再構成して、違った作品を創りだすのを楽しむのでありました。
 「残光」の世界というのは、次のようなものでありまして、わけがわからないと
いうひとのほうが多いでしょう。
「 ここで私はしばしばその名前を出してきた山崎勉さん(これから、Y・Tと呼ぶこ
とにする。Y・T本人がそう申し出てきた。以前から気になっていたので、彼のいう
通りにします。)が、以上私が写しとった第17章から引用するときは、第13章の
『すばる』編集長Sの手紙で報告している、菊池先生の喜寿のお祝いの席で、そこに
出席していたドイツ文学者(Sによると中堅の人)がSの前で、おっしゃったことが、
手塚先生のおっしゃったことと似ていた、ということである。といっても多少いい方が
違っているので、忘れないでそのことにふれておいてくれ、といってきた。そこで、
用心深くその章をあけてみると、やっぱり、書き抜いておく方がいいと思った。
菊池先生は、小島の『私の作家遍歴』の「遍歴』は、彼のいわゆる『合唱』のことで
あり、それは私の『唱和』のことだ、といわれたこと。もう一つ、これは私(小島)と
直接かんけいがないが、こういうことだ。」
 これが90歳の作家が残した世界です。亡くなる直前まで、自分流を貫いたことに
は、驚くしかありません。

残光 (新潮文庫)

残光 (新潮文庫)