シベリア抑留

 岩波新書で「シベリア抑留」という本がでました。著者は栗原俊雄さん毎日新聞記者
で、昨年に大阪本社発行の夕刊に連載した記事が基本となっているそうです。67年
生まれの記者さんが取り組まれました。

シベリア抑留―未完の悲劇 (岩波新書)

シベリア抑留―未完の悲劇 (岩波新書)

 このあとがきに著者が次のように書いています。
「シベリア抑留については、機関車による膨大な数の手記がある。だが抑留が、今日に
至るまで彼らと遺族の人生を動かしていることを伝えるものは少ない。それを明らかに
することが、シベリア抑留の歴史的意味を照射する光になるだろうと、私は思う。本書
の半分近くが、抑留が終わった後の時代を追っているのはそのためだ。
 国策によって多くの人々が満州で戦争に巻き込まれた。その延長がシベリア抑留で
ある。一義的な責任はソ連にあるが、本文で見てきたように、日本政府も責任を逃れる
ことはできない。日本政府は謝罪も補償もしない。それゆえ八十歳を過ぎた人たちが
法廷に立ち、あるいは国会議事堂前に座り込む。戦争が終わってから六四年が過ぎた
今もなお、彼らは、人間としての尊厳を取り戻すために闘わなければならない。それが
二一世紀の我らが祖国日本だ。その、国としての姿を伝えたかった。」 

 シベリア抑留死者の名簿を作成した「村山常雄」さんという方がいます。独力で誰も
やらなかった名簿作成に取り組まれたのでありますが、それの元は91年当時のソ連
ゴルバチョフ大統領が日本政府に提出した抑留者39000人の名簿です。これを日本政府
はカタカナに翻訳して公開したのです。
 村山さんはこのカタカナ名簿を見て、これでは無名戦士の名簿と同じで、亡くなった
のが誰かわからないと漢字化に取り組むのですが、よくもこのような作業をやって
みようと思ったものです。
 今年三月に、岩波ジュニア新書「シベリア抑留とは何だったのか」畑谷史代さん
(こちらは68年生まれで、信濃毎日新聞の記者さん)によると、次のようになります。

シベリア抑留とは何だったのか―詩人・石原吉郎のみちのり (岩波ジュニア新書)

シベリア抑留とは何だったのか―詩人・石原吉郎のみちのり (岩波ジュニア新書)

「村山さんは96年から、カタカナに翻訳されたその名簿資料と、抑留者団体や個人の
記録、遺族からの聞き取りなどとの照合作業に独力で取り組む。以来11年をかけて、
四万六千三百人の名前と埋葬地、出身地などを突き止め、07年、それを『ソ連抑留中
死亡者名簿』として自費出版した。」
 これについて、栗原さんの岩波新書には次のようにあります。
「96年、70歳の誕生日を機に名簿作りを始めた。パソコンを購入、国の名簿や抑留者
団体と個人の記録などから五万三千人の名前を入力した。まる四年かかった。
パソコン操作になれておらず、数千人分のデータを一瞬で失ったこともあった。次に
漢字表記への返還と重複の解消に取り組んだ。カタカナ表記の、膨大な数の名前を扱う
うち、ロシア語と日本語の発音のずれについて、一定の法則性があることに気がついた。
・・・一人ひとり、固有の名前を再生させてゆく、地道で時間のかかる仕事であった。
10年間、一日10時間以上作業した。『休んだら挫折する』と、二日続けて休んだこと
はない。その成果をまとめ自費出版したのが『シベリアに逝きし人々を刻す』だ。・・
紙面上に延々と続く犠牲者の名前は、まるで墓列のようで、見るものの胸をしめつける。
国家とは何か、戦争とは何かを雄弁に物語る渾身の労作だ。・・
村山が個人でやり遂げたことは、大きな組織を持っている政府であれば、より容易に
できるはずだ。」 

 カタカナ名前から人物を特定する作業というと、最近話題になっている宙に浮いた
年金受給についてのことが頭に浮かびます。「大きな組織を持っている政府であれば、
より容易にできるはず」といわれそうですが、人物の特定というのに必要jなのは、
何よりも熱意であることがわかります。