榛地和装本5

 書店で、全く知らない著者のものを購入するというのは、けっこうリスキーで
ありまして、運を天にまかせてレジに持参することになります。
見ず知らずの著者のものは、信頼する書評家の評を目にした後に購入するか、それ
とも図書館で借りるほうがよろしいのでありました。まあ、しかし、いつも安全策を
とっていれば目利きになりませんので、たまには、思い切って自分の直感に賭けると
いうのも必要なことであります。
 編集者の仕事には、新人作家の発掘というのがありますが、この作業は持ち込まれ
る原稿作品の最初の読者になることを意味します。それが作品として出版するに値する
かどうかを判断して、商品企画するのが編集者の仕事でしょう。
 藤田三男さんの「榛地和装本」には、自分で装本したものが収められていますが、
なかには共作を示すかのように、ほかの人の名前が添えられています。
「 足立さんの『やちまた』を出したいと久米さんがいってきたのは、昭和48年の
ことである。私は迂闊にも(というより不勉強で)足立さんの文章をそれまで一篇も
読んだことがなかった。その少し前に、尾崎秀樹さんが企画の中心になり、桜田満さん
が悪戦苦闘して刊行し始めた学研文学全集の編集委員の一人として、足立巻一という
名前を見た。これはどういう人なのだろうと思っただけで、そのまま忘れていた。
 久米さんの持参した『やちまた』第一回所載の『天秤』は、神戸からでている
瀟酒な同人誌である。相当大部のものになるとのことで、優に1000枚を超えると
いう。名前もわずかに知る程度の新人(?)の1000枚を超える大冊となると、
どういう形で本にすればいいのか、私には思案がつかなかった。」
 藤田さんの文章を見ますと、編集者久米さんという方は新人であったようです。
新人がもってきた、未知の作家の大部の作品を刊行するというのは、相当な冒険で
あります。
本居春庭を主人公としたこの評伝は、文章にいささか粗いところもあるが、それを
遥かに超える足立さんの情熱の量が、編集者にも乗り移ったように見えた。
 単行本は上・下二冊本。各400ページを超える大冊になった。定価をいくらかでも
おさえたいと考えた久米さんは、装本を自分でするという。バックに国文法の活用表の
木版を紫色で廃止、タイトルをスミで力強く、やや大きめにした。しかし初校刷取りを
みると、国文学の学術書のような印象を拭えなかった。どうしたものかと彼と思案し
て、明暗逆にしてみてはということになり、バックの活用表をスミにしてみた。
 スミ刷りの活用表は、木版の刀の切れ味まで一段と際立たせるものとなった。」
 この「やちまた」のカバーには「カバ− 表紙の図柄は『詞のやちまた』活用表」と
あります。
 この本は74年10月に新刊ででたものですが、当方は就職して半年が経過していま
した。この本の広告はみていると思いますし、書評なども目にしていたのかもしれま
せんが、ほとんどそれは忘れていて、書店で手にして勢いのみで購入したような記憶が
残っています。上巻から購入したのですが、本には著者の紹介がなく、あっても未知の
人でありました。帯には推薦文があったのかもしれませんが、それもいまは確認でき
ません。
 とにかく自分の直感のみで購入し、それが大正解であったわけです。この作品で、
足立巻一さんは一躍有名になるのですが、こうした作品を送り出したくれた編集者に
は、読者として感謝しなくてはいけません。
 この作品を読んでから数年して、親しい友人たちと高知にわたって、この作品に
ゆかりの場所を訪ねるという旅を行いましたが、あれはどなたにゆかりの場所であった
のでしょう。
かって、この作品は河出文庫に入っていましたが、いまは入手できるのでしょうか。