あれから45年にもなるのかという話であります。この時間に音楽のTVを
見ていましたら歌手の大田裕美さんが登場していて、デビュー曲、ヒット曲、
そして最新の曲を披露していて、デビューしたのは1974年11月で、ことしは
45年となると言っていました。45年か、当方が学校を終えて就職したのは
1974年4月でしたので、ほぼ同じころのことであります。
本日に新聞書評欄を見ていて、あれからも45年かと思ったのは、今月か
ら読書編集長となった村山正司さんの小文にあった次のくだりを目にしたか
らであります。
「本書の書評では『やちまた』(1974年12月16日付朝刊)が私の心に刻ま
れています。作者の足・立・巻・一の四文字が本文に織り込まれ、読み取った
呉智英氏は『必死にコレヲヨメ、コレヲヨメとささやいている』と評しました。」
当方は、村山さんの書名がはいった記事とか追悼ものなどをスクラップし
ていて、この記者さんとは気があうわいと感じていましたが、上のものを目に
して、そうか同じようなものを読んできていたのかと思いました。
当方は仕事について半年くらいで、立ち寄った新刊本屋で上下二冊の本を
購入したのですが、それはこの新聞書評を見てのことであるのか、どうかが
わからないのであります。この本を読んで圧倒されたのは間違いないのです
が、この本をどうして読むことになったのか、なんといっても無名の著者で、
本居宣長の息子のことを取り上げた、上下二冊のものを買う気にさせるとい
うのは、よほど背中を押すものがあったはず。それが新聞書評であるとしたら、
その書評はスクラップブックのどこかにあるはずですね。それにしても45年も
昔のことで、読んだことは覚えていても、この書評のことはすっかり頭から消え
ていました。
足立さんの「やちまた」の一番新しい刊本は、中公文庫ものでありますが、
この「下」巻には、村山さんも言及している呉智英さんが巻末エッセイを寄せて
います。これには次のようにあります。
「『やちまた』を知ったのは、朝日新聞の1974年12月16日付の書評によって
である。当時朝日の書評は無署名で、誰の手によるものか不明だったが、異常
なまでに高揚した書き方であり、評者の興奮ぶりが読む者に伝わってきた。」
このあと呉さんは書評の一部を引用しているのですが、当方のところのど
こかにこの書評切り抜きはあるはずで、この切り抜きを探してみることにしま
しょう。
vzf12576.hatenablog.com 追記 探してみましたら1974年の手帳メモを発見です。ここに次の
ような記述がありました。12月26日のこと。
「ボーナスをもらってからこれといった買い物をしていないので、富貴堂
にいって『やちまた』という本を買ってくる。買ったのは朝日の書評で褒め
ていたのと、大岡信の文芸時評でちょっと言及していたのを見ていたので。
『やちまた』という小説とも評伝ともつかない、まったくおもしろい作品で、
ことしの最後をかざるにふさわしいと思われた作品。FMのジャズフラッシュ
も忘れて読みふけった。12時すこしすぎまで読んで300ページ近くまで読む。
最近の不調を吹きとばす。」
21日にボーナスをもらって、はじめてこんな大金を手にしたと書いてあり
ました。ボーナスのおかげで「やちまた」を買うことができたのですね。
朝日の書評と大岡信の時評の合わせでしたか。