学問の春 9

 山口昌男さんの「学問の春」は、比較文化の講義録でありますがテキストとして
使用しているのはヨハン・ホイジンガの「ホモ・ルーデンス」中公文庫版であります。

ホモ・ルーデンス (中公文庫)

ホモ・ルーデンス (中公文庫)

「(ホイジンガは)1872年に生まれた。若いころから語学の天才で、19世紀も末の
1891年にフローニンヘンという大学の人文学科に入ったとあります。
 人文学科というのは日本ではこのごろあまりない。要するにヒューマニティーズと
いって、普通ヒューマニズムという英語は人道主義と訳されているけど、もともとは
ルネサンス期から始まる学問の動向ですね。それまでは教会の関係の勉強は聖書の
購読を中心になされて、その中で哲学も構築された。しかし、それは神を中心とした
学問であるのに対して、人間が世界の物ごとや動きの中心であるということを主張し
はじめたのがルネサンスの学者である。そのルネサンスの学者は、いろんなところに
分かれていたけれども、古代ギリシャ世界が共通の知的な源になった。そのなかでも
ギリシャの古典が大きな刺戟になったと同時に、ヨーロッパ世界の古層がキリスト教
化あるいはイスラム教化されて覆い隠されて見えなくなっていた。・・文化の古層の
発掘事業そのものが、本来ヒューマニティーズやヒューマニズム、イタリア語でいう
ウマニスモという言葉で呼ばれるようになった。それが西洋の人文学といわれるもの
である。」
 昔はあちこちの大学に人文学部というのがありましたが、最近はこの名前では学生
があつまらないということで、この名称をつかわなくなっているようですが、日本では
国立大学(それこそ、昔風にいうと地方の二期校)に生き残っているほか、私立大学
にもしっかりと残っていました。残念なのは、日本の大学の人文学部からヒューマニ
ティーズという雰囲気が感じられないことでしょうか。
 山口昌男さんが目指した文化学部は、もちろんヒューマニティーズを意識をしてい
ましたでしょう。
 当方のブログ過去分に登場する山口昌男さんを検索していましたら、山口昌男さんを
札幌大学に招いて、学長の座を譲ったのは、鶴見俊輔さんの妹さんのご主人であると
いう記述が目にはいりました。鶴見俊輔さんの「悼詞」にあったものですが、これも
不思議な縁であることです。