学問の春 8

 あいかわらずで平凡社新書「学問の春」を手にしているのですが、講義の中身に
ついてはふれず、その周囲をうろうろとめぐっています。
この新書の編集後記にもありますように山口昌男さんは、現在、闘病生活をお
くっているようです。この本は山口さんと編集担当の石塚さんが打ち合わせを
しながら進めてできあがったものと思いますが、山口さんがお元気であれば、
このような本は日の目をみることがあったでしょうか。なんとはなく、けがの
功名のようにも感じます。そして、この書名「学問の春」というのも、山口さんが
タイトルを考えれば、このようなものにはならなかったでしょう。
「学問の春」というのは、いかにもストレートでてれてしまうようなタイトル
ですが、北の大地に新しく生まれた札幌大学文化学部の春学期における学部長
講義として、これまでの自分のもっているものすべてを投じて人文学を通じて
学ぶことの愉しさを広めるという試みであれば、こうした気負ったタイトルも
ありと思いました。
 これまた山口昌男さんが好きな1930年代のロシア前衛派の「春の祭典」にも
似た高揚感が、このタイトルからは伝わってきます。ロシア前衛派がその後の、
政治体制のなかで押しつぶされたとすれば、山口さんの試みも、山口さんが追われて
からは学内で息苦しさを感じることになったでしょう。
 この講義は97年のものですが、この10年くらいは人文学にとっての「失われた
10年」といえるかもしれません。人間を人間たらしめる人文学が軽んじられて、
各大学は、教養部門の教師をみな非常勤にして、学生が人文学の大学院にすすむと
いうことはフリーターを覚悟すると同義のような雰囲気となってしまいました。
 極端な実学指向と拝金主義の時代でしたが、昨年からの不況の始まりは、すこし
は路線変更となって、人間らしく生きるということに意味の見いだすようにも
なりますでしょう。ミニルネサンスがおこって「学問の春」というのが、文字
通りで受け入れられるような時代となってほしいものです。