ユリイカ「山口昌男」特集 3

ユリイカ」の「山口昌男」特集を、どのような人たちが読むのかわかっていませんが、
山口昌男さんの活動にリアルタイムで接していた人たちは、そこそこの年齢になったい
るはずでありまして、その人たち(当方もそうした一人でありますが。)が読むために
は、この「ユリイカ」の本文はいかにも字が小さいことです。遠近両用のめがねをつけ
たりはずしたりしながら、ななめよみをしています。
 今回の「特集」の卑近なテーマの一つに、山口昌男に弟子はありかというものがあり
ます。知の職人としてでしたら弟子はいそうでありますが、学問の世界の人としては、
弟子らしい人はいなかったということでしょうか。
今回、この特集に寄稿されているかたの何人もが、山口昌男さんが31歳の時に発表した
柳田国男に弟子なし」という文章に言及されています。
31歳の時の発言が、亡くなったあとになってもこだわりとともに紹介されるのでありま
すから、若い時の発言には気をつけなくてはいけませんですね。
 当方にアピールした、もう一つのテーマは、北海道に生まれて東大国史学科に進学した
山口昌男さんについての考察であります。山口さんに北海道人に国史は無理といったのも
柳田国男さんであったようです。由緒正しい家柄の柳田さんと、北海道でも北のほうに
所在する小さな町で生まれ育った山口さんであります。勝負が明らかかどうかはともか
く、同じ土俵で勝負するには、相当に大変なことであります。
明石家さんまさんがいわれていますが、学校で一番とか、町で一番というレベルでは
問題にならない、全国で生き残ろうとするとだんとつでなくてはいけないとのです。
国史分野から転出したことが、その後におけるだんとつの存在につながるのですが、
これは北海道人であったことが影響していると思いたいことです。
 そして最後のテーマは、山口昌男の孤独です。
 ということで、本日はひさかたぶりでせりか書房版「人類学的思考」を手にしており
ました。

 これは学生の頃に古本で求めたのですが、当時の定価3千円というのはかなりの高額
図書で、古本屋で何割引かになっていたのをえいやっと購入した記憶があります。
これには、それから30年後、山口昌男さんにサインをしていただきました。

 当方はミーハーなファンであったのですが、そうした人間にも親切に接してくれたの
は、山口さん特有のサービス精神のあらわれであったのでしょう。
 最後は、この特集にある上野千鶴子さんの文章から引用させていただきます。
「九人きょうだいの末っ子(注 正しくは次男)で姉たちにかわいがられて育った山口
さんは、さびしがりやで人恋しい、にぎやかなことの好きなお祭り男だった。
世界中、神出鬼没に登場しては、電話一本で『組員』を呼び集めて、行き先々で宴会に
なった。なのに、ついに親分子分関係をつくらなかった。派閥も学閥もこのひとには
無縁だった。」