疎開小説3

 疎開小説といってどのようなものを思いだすでしょうか。最近も流通しているもの
には、次のものがありました。

東京少年 (新潮文庫)

東京少年 (新潮文庫)

 これには、次の販売コメントが用意されていました。
( http://mediamarker.net/u/abdiel/auth1/小林%20信彦/ )
 当方は、小林さんの雑文は好きで、文庫になりましたら、すぐに購入をしていますが、
小説はちょっと距離をおいています。この文章は、連載されていたときにすこし読んだ
記憶がありますが、ほとんど頭に残っていませんので、このブログを記するにあたって、
小林信彦さんの自伝的小説「東京少年」は読んでみなくてはいけません。

 「疎開」についてのwikipediaを見ましたら、疎開した主な有名人というリストが
あるのですが、ここに名前があがっている方で作家の方々は、学童疎開の体験などを
なんらかの形で残しているのでしょうか。
 学童疎開についての小説としては「柴田道子」さんの「谷間の底から」という作品を
思い浮かべるのでありますが、これはもうすこしあとにとっておきましょう。

 柏原兵三さんの著作になじんでいたわけではないのですが、なんとなく気になった
せいもあって潮出版社から73年〜74年にかけて全7冊ででた著作集を購入しており
ました。たぶん、どこかから古本で購入したものでしょうが、これを入手にいたる
経緯をほとんど記憶しておりません。たぶん、30年ほども寝かしてあったと思い
ますが、今頃になってひっぱりだしてきて読むにいたってます。( 図書館では、
こうはいかないから、たとえ置き場所がなくなったとしても本は買っておいたほうが
いいと記しますと語るに落ちるですかね。)
 著作集の第4巻には「長い道」「同級会」といった疎開時代のものが収められて
いるのですが、第7巻の随筆集にも「疎開派の『長い道』」「富山と私」といった
文章が収録されていて、読むことができます。
「 私がもの心ついた時、もう日本は中国との戦争を始めていた。謂わば戦争は
常態だった。当時のことを思い出すよすがにしようと思って当時のアルバムを取り
だして見ると(私の家はやけてしまったが、弟と二人で父の故郷の富山県疎開
した時に身の周りの品物を持っていったお陰で、アルバム類は残っている。)幼稚園
陸軍病院傷痍軍人を慰問に行った写真が出てきた。・・幼稚園の頃の写真は
かなりあるが、そのあと戦争中の国民学校時代のクラスで撮った写真が一枚と、
弟と二人で疎開する時に家族で写真館にでかけて撮った写真が一枚と、田舎の国民
学校のクラスの級長と町へ出かけて記念に撮った写真の三枚しかない。・・・
 ところで弟と二人で疎開した時に家族で撮った写真を見ると、今でも私はある
種の感慨を禁じ得ない。それはこうして家族で写真をとるのはもしかするとこれが
最後かも知れないという気持ちをめいめいが心の中に抱いて撮られた写真だった
からである。」