小沢信男著作 170

 本所つながりでの「あの人と歩く東京」であります。この本の中には、本所があち
こちに登場しそうでありますが、まずは先日に引用した中野重治「街あるき」を手に
してみます。
 小沢さんは、「この作品は、本所に下宿する大学生が東京の街々を歩きまわる話」と
紹介していますが、中野重治さん自身が短い期間ですが、本所に下宿していたとのこと
です。
小沢さんも、この文中で「中野重治全集の年譜によれば」と書いていますので、まずは
そのくだりから引用です。
 同行二人でありますので、「あなた」というのはこの場合、中野重治さんのことです。
「 大正十三年に東大に入学したあなたは、駒込の親類の酒屋に下宿するが、翌年その
親類が本所区松井町三丁目十番地に引越し、そこで一緒にこの町へきたのですね。
福田屋という酒屋でした。表通りなもので、二階で寝ていても電車が夜更けまで頭の上を
がんがん走る。その閉口ぶりから『街あるき』は始まります。」
 全集年譜で見てみましょう。
「大正十三年四月、二十二歳 東京帝国大学文学部独逸文学科に入学。
本郷区駒込神明町三六三、青池一治方に下宿。父方のいとこの家で、福田屋という酒屋を
営んでいた。
 大正十四年 二十三歳 『裸像』第四号で終刊(五月十五日印刷納本、五月二十日発行)。
奧付によると、編集者兼発行者中野重治の住所は、本所区松井町三ノ十に変わっている。
下宿先の移転にともなってのもの。
 大正十五年 二十四歳 この年のはじめ、下谷区上野桜木町の新人会の合宿に移る。
その後、同じく下谷区谷中清水町の合宿に移り、のち本郷区森川町一番地 谷の合宿に
しばらくいた。」
 全集の年譜は、松下裕さんの手によるものですが、120ページにも及ぶもので、大変
読み応えがあります。これによると中野さんが、本所区にいたのは、一年ほどである
あったようです。
 本所区松井というのは、現在は墨田区千歳三丁目で、墨田区の南端だそうです。
現在の地図をみても、電車がどこをはしっていたのかがわかっておりません。総武線
ことでしょうか。それとも市電でしょうか。