わたしと筑摩書房

 筑摩書房は、1940(昭和15)年に会社が発足して、最初の本を出したと
あります。戦前からあった会社ではなくて、戦中におこった会社です。会社の発足と
して、なにもこんな悪い時期を選ばなくてもという感じをうけます。
 昭和15年という年は、幻の東京オリンピックが予定されていた年ですが、東洋で
最初のオリンピックは事変という戦争のために中止となったのでした。
この年にオリンピックをすることになったのは、皇紀2600年を記念してのことで
ありましたが、神武天皇が即位した年から数えての皇紀というのは、最近はほとんど
意識されませんが、コンピュータの2000年問題が話題となったときに、どこぞの
システムがうちのシステムは皇紀で年数計算をしているので、西暦2000年問題には
影響されないといっていて話題になりました。
 昭和15年というのは皇紀2600年ですから、筑摩書房操業にあたっての宣言にも
そのことが反映されています。
 「筑摩書房の三十年」からの引用となります。
「 紀元二千六百年の新春を寿ぐことは、わが民族がいま再び一切のものの根源に立
帰り、新しい決意と叡智とを採り得て、更に遥かなる前途に向ふ新たなる出発を祝福
することであらうと存じます。つねに創むる者の情熱を呼びもどすことであると思ひ
ます。・・
 この民族の再出発を前にして、私もまた自身をして新たなる出発をなさしむべく、
一言御報告申して御指導御援助を願ひ度う存じます。
 今回、私は筑摩書房を起し、書籍の出版普及を以て私の生涯の道とすべく決意仕り
ました。・・
 まことに今こそ真理と美が、その力を発揮しなければならぬ時であると思ひます。
アジアの覚醒を世界の前に示すために、皇師百万海を渡って戦ひつつあると時、
目覚めた民族の芸文が、自らの生活の樹立を怠っているわけにはまいらぬのであり
ます。私は微力ながら、敢てこの使命の一翼に参ぜんとするものであります。」
 こうしておこった会社の一冊目が、「中野重治随筆抄」というのが驚きです。