本作りの苦労4

 「本作りの苦労」とは、もともと『本とわたしと筑摩書房」柏原成光をとり
あげて、それと「筑摩書房の三十年」を読み比べするつもりでありましたが、
筑摩書房の三十年」を見つけだすことができずに、ここ一週間ほどさがして
おりました。たしか、この本のことは松下裕さんに言及したときに手にしたことが
ありましたので、見ていたのは、そんなに前のことではないのですが、すっかり
どこにしまったのか忘れていました。やっとダンボール箱にはいっているところを
発見して、これは一安心です。
 昨日まで話題にしていた秋山清さんについて名前だけでも知っているのは、どう
してかなと思っていましたが、これは「思想の科学」に関係していたからであり
ますね。鶴見俊輔さんが、どこかでふれていたはずと思っていましたら、まずは
「回想の人びと」ちくま文庫のなかでありました。

回想の人びと (ちくま文庫)

回想の人びと (ちくま文庫)

 谷沢永一さんが書くところの秋山清さんは、たしかに秋山さんの一面であるので
しょうが、そればっかりが人々の記憶に残るようではお気の毒でありますね。
「 秋山さんは、ほらふきとほらをふかないものとの区別を私に伝えた。彼の
戦中、戦後の詩に、激越な言葉はおさえられている。テロリストとおだやかな
日常をすごすものと、その双方に共感をもった。彼自身はテロリストではなく、
平常心をもって、戦時、戦後を生きた。しかし、時代に対してテロリストの心情を
もっていたことはたしかである。・・・
 彼は信義にあつい、おだやかな日常生活をおくり、どうしようもなく権力に自分
自身をぶつけてゆく人とのつながりを断つことはなかった。
 秋山清が、戦後にアナキストのあいだで重んじられたのは、大正期の出発以来、
多くの人たちが理論装備とソ連の威光にまけてボルシェヴィズムにかわってゆく
なかで、彼が自分の経験をくりかえし吟味するという方法によって、改める必要
のないことは、改めず、アナキズムをかえることがなかったためである。
そういう生き方は、いま重きをましている。」鶴見俊輔 「回想の人々」より
 秋山さんは、記憶力が抜群であったという逸話を目にしたことがありました。
この鶴見さんの文章のなかにも、「よく覚えていますね。」なんていう記載が
あるのですが、小生が好きなのは、晩年になってから、小学校のクラスメートの
ことをすべてそらでいえたというものでして、それを目にしたときには、
小学校の同級生はおろか、最近であった人の名前も覚えていることができなく
なっていたので感心したのでした。