書肆季節社の本3

「編集中記」は今井田勲さんが「ミセス」に連載した文章をまとめたものであります。
 この本の後記には、今井田さんが次のように書いています。
「奥付の八ポイント活字が編集長のすべてであり、けっして紙面に顔をだしてはなら
ない。
先輩からそう教えられて編集長職を永年つとめてきたが、それが五年や十年なら
じっと我慢もなろうが、二十年三十年ともなると、人をして語らしめるのがじれったく
感じられ、編集後記の枠からはみ出して、とうとう誌面の中に貧相な顔を出す羽目と
あいなった。」
 編集長というのは黒衣でありますから、誌面への露出というのは編集後記くらいしか
でてはいけなかったのでありますね。個性の強い編集長の雑誌などは、巻頭言を自ら
書いているものがありますが、そういうのは、今井田さんの時代にはいけないことで
あったのでしょう。
 今井田さんのことを検索してみますと、いろいろなところで編集者をして、最後に
文化出版局をまかされたとありました。
「 1952年、文化服装学院創立者遠藤政次郎の頼みで「装苑」編集長に就任。
文化出版局の最高責任者を仰せ付けられ、「ハイファッション」「ミセス」「銀花」を
創刊。女性誌の四種の神器と呼ばれる皇室記事・ゴシップ記事・セックス記事・実用
記事を一切扱わなかったにも拘らず成功を収めた。」
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
 女性の月刊誌というと、正月に家計簿が付録としてついてくるものといって、最近の
人にはどのくらいわかってもらえるでしょうか。「Wikipedia」でいうところの女性誌
いうのは、最近、ほとんど姿を消してしまっていますので、それらの雑誌がでていた
ときの「ミセス」という雑誌のセンスはモダンで都会的であったのでしょう。
 そういえば、金井美恵子さんが昨年「昔のミセス」という本をだしていました。
これは、雑誌「ミセス」に連載した「ミセスのバックナンバーを読む」ともいうものを
一冊にしたものでありました。

昔のミセス

昔のミセス

 この金井美恵子さんの本によると「ミセス」1号(61年9月)の目次には、編集者
からのメッセージが記されているそうです。(このメッセージは今井田さんによるもの
でしょう。)
「 『国々の戦いの日に、ひそかに乙女の夢をはぐくんできた そんな年代の女性の
ために』作られた雑誌だということが告げられ、編集後記には、『ミセス』と呼ばれる
女性が『結婚された方ばかりでなく、三十歳を過ぎた方』も含まれていて、『オールド
ミスという言葉にかえて私どもはハイミスと新しく呼びたい』と考えていることが提案
されている」

 今井田さんは、小生にとってはなによりも「銀花」の編集長であった人ですが、
やはり女性雑誌に改革をもたらした人というのが正しいのでしょう。