昭和幻燈館にありか

 先日のTVでUAさんが語るAJICOの由来を聞いて、野溝七生子に興味がわく

ことであります。

 野溝さんについて書かれた本といえば、矢川澄子さんの「野溝七生子という

ひと」を持っているのですが、つまみ読みだけで、いまだ読み通していない

ようであります。なんとなく矢川さんのウェットな文章を読むのが辛くなった

りするのでありまする。この本は87年から88年に発表された文章をまとめ

て90年に一冊としたものということです。

 矢川さんのこの本のあとがきには、次のようにありました。

「『野溝七生子というひと』は、『LE』と「par AVION』に連載された。いずれ

も加賀山弘氏の編集になる、いまは幻の名雑誌である。」

 加賀山弘さんという名前は見覚えがありましたです。この方は坪内祐三さんの

編集者生活に関連して登場するのでありました。

今回の「ツボちゃんの話」で行きますと、次のところであります。

「せっかく入った『東京人』をツボちゃんはわずか三年で辞めている。伝説の編

集者であるボスの粕谷さんだが、しょっちゅう人を見込んでスカウトし、見込み

違いですぐクビ、といったことが何度かあったらしい。・・・

そのときも、ある有名編集者をスカウトし、一方でツボちゃんの仲の良い後輩が

クビになるという事件が起きた。思い余って粕谷さん意見したところ、逆に、

みんながきみのことを怖がっていると言われ、その場の勢いで辞めてしまったの

だ。」

 坪内さんが「東京人」の版元を辞めたのは1990年9月のことだそうですから、

加賀山さんのほうは、矢川さんの連載を終えてまもなく「東京人」へと移った

ということがわかります。

 なかなか人のつながりというのは、面白いものであります。

 それで当方の手元にある久世光彦さんの「昭和幻燈館」に、野溝さんについて

書かれた文章が収録されているのがわかりました。こちらもちょっと遅れて入手

したのでありますが、「山梔伝説」というのが野溝さんについての文章でした。

こちらはいかにも久世さんらしいもので、この当時は、ほとんど野溝さんは知ら

れていなかったのでしょうから、本当に伝説的な存在であったのでしょう。

 久世さんが阿字子について書いている下りの引用です。

「アヌイの『アンチゴーヌ』が最後までアンチゴーヌであり続けようとしたよう

に、『山梔』の阿字子(考えると奇妙な名前である。おそらく作者にとって同名の

女人がこの世に存在することが許せなかったので、このように奇妙な命名をしたの

だろう)は、絶対に<少女>であり続けようとする。その頑な姿勢は恐ろしいばか

りである。」

 阿字子という名前には、そうした思いが込められているのか、それを知っての

AJICOでありましたか。