矢川澄子さんが書き残さなければ、当方には野溝七生子さんは縁のない
人でありましたでしょう。矢川さんの本で野溝さんという作家がいることを
知り(いまだ作品は目にしていないのですが)、そのパートナーであった
白玉書房主である鎌田敬止さんを知るに至りました。
この本を紹介していた小田光雄さんは、矢川さんは野溝さんと鎌田さんの
関係に、自分と渋沢龍彦さんの生活を重ねていたのではと記しているのです
が、ちらっと読んでみますと、ほんとそのように読めることであります。
「野溝七生子というひと」に収録の「ある結婚否定論の結末」という文章
からの引用です。ちょっと矢川さんが出すぎていて、つらいところがあります
ね。
この文章では、野溝さんと鎌田さんの暮らしは、現在であれば「DINKS」と
呼ぶような、仕事を持った二人が子どもなしの生活であったといったあとに、
次のように続けます。
「DIの方はさておき、それではあなたがたのNKの部分はどのようにして成立
していたのでしょうか。そのあたりの事情をもうすこしはっきり伺っておけば
よかったと今にしてくやみます。なぜって、これはやはりひとりに女性の個人
史を語る上でかなり重要なことだと思うから。
なァちゃん、正直に答えてね。あなたのNKはひとつの意思的な選択の結果な
の? それとも企まずして授からずにすんだわけ? わたしたちずいぶんいろん
なことを話し合ったけれど、おたがいなぜ母親にならなかったについては、
ついに触れずじまいでしたね。」
野溝さんは、矢川さんにとっては母親世代でありますが、自分の先行者の
ような存在でありましたから、子どもを残さなかったのが「意思的な選択」で
あったかどうかに拘ったのですね。
矢川さんは「すでに妻子のあった鎌田さん」と書いていますので、そのこと
が影響していたのかとも書いているのですが。
本当に矢川さんは最初の結婚を終えてから、平凡な相手と結婚生活が送れた
とすれば、もっと違った生き方ができたのではないかと思うことであります。