月刊京都 6月号2 

 月刊京都 6月号の「特集 本の魅力」は、「限定本の魅力」として、湯川書房
本を取り上げています。
 この湯川書房の本の書き出しは、次のようになっています。
「 バブルのころ、限定本ブームがあったことを知っているだろうか。
今では、その言葉さえあまり聞かなくなったけれど、時代の変遷に流されることなく
限定本を出し続けた出版社が、京都にあった。湯川書房、その仕事と功績とは?」
 「バブルの頃」には「限定本ブーム」があったとあるのをみても、ぴんとこな
ことです。バブルの時代に、オークションで名画が、ばか高い値段で落札されて、
国内にはいってきたことは記憶に残っていますが、この話題とくらべると、
限定本というのはバブル話題にしては、スケールが小さいかもしれません。
 もともと小生は限定本には縁がなかったせいもありまして、バブルのころに限定本
ブームといわれても思い当たる限定本が浮かんでこないことです。この文章を書かれた
人は、具体的にどのような限定本を思い浮かべているのでしょう。
たぶん、なにかのことが印象に残っていて、このように書いたのでありましょうが、
「バブル時代の限定本」といって思い浮かべる本はと、皆さんにお聞きしたく思う
ことです。
 昨日に、湯川成一さんが京都に住まいを移して、そのあと会社を京都に移したと
記して、その代表作が「無名の南画家」としましたら、「仙台が親戚」様に、この
本の出版は、会社が大阪にあったときのものとご教示をいただきました。
今年の3月にでました「湯川書房湯川成一の仕事」にある「略年譜」を見ましたら、
自宅をうつしたのは94年(平成6年)とあり、事務所を京都に移したのは98年と
あります。
 「無名の南画家」は97年6月刊行でありますから、大阪時代の最後のほうの
作品というのが正しいのでしょう。この作品に関しては、「湯川書房最後の活字に
よる刊行本」とありますので、京都に移転してからは活字本は、でていないのですね。
 この「月刊京都 6月号」の湯川書房特集のところには、湯川夫人へのインタビュ−
記事がありまして、この雑誌を手にするまでは、てっきりと奥様のポートレート
掲載されているものと思っておりました。
 残念ながら写真はなくて、発言のみが記事であるのですが、「無名の南画家」に
関して奥様は、次のようにいっています。
「和紙と小千谷縮を使って、手触りがなんともいえません。戸田勝久さんの版画も
風雅ですし、うちでは、最後の活字の作品でもあります。」
 奥様が「うちでは」ということは、奥様も仕事を手伝っていたということであり
ますか。