海鳴り21号到着3

 編集工房ノアの「海鳴り」は、今回で21号となっていますが、いつごろから
でるようになったのでしょう。2000年9月に「編集工房ノア25周年記念会」
というのが大阪のホテルでありまして、その時の様子は2003年4月に刊行された
「海鳴り」15号の編集後記で報告されています。記念会が終わってから2年以上
たってから報告するというの編集工房ノアの主人らしいことです。
 たしか、この記念会のときに簡単な会社の歩みを記した1枚ものの記録と、革製の
しおり、一筆箋を作成されて、当方も古くからのファンとしていただくことが
できました。その記録をみましたら、「海鳴り」がいつから刊行されているかという
のは、わかるのですが、これがどこかに紛れ込んでおりまして、今は見つけることが
できません。
 小生がはじめて編集工房ノアに本を注文したのは、川崎彰彦さんの「わが風土抄」を
入手するためでありました。この本の奥付は75年2月25日となっていまして、
たしか編集工房ノアの最初の一冊のはずです。ノア主人は、まだ他に仕事をもって
いて、文学学校の先生である川崎彰彦さんの作品集の刊行をかってでたような感じ
でのスタートです。どうしてこの本がでたことを知ったのかは、いまは思い出す事も
できませんが、これからしばらくは、川崎彰彦著、粟津謙太郎装画、涸沢純平・編集
工房ノア発行 ということで、川崎さんの作品を手にすることができました。
この「わが風土抄」はいまだに「海鳴り」の刊行リストにのっていますので、初版が
34年も経過したいまでも残っていることになります。(大出版社であればとっくに
廃棄処分されていますでしょう。)
 手元にある「海鳴り」の一番古いものは7号で、90年10月刊とあります。
いつかに、「海鳴り」楽しみに読んでいますといったときに、この号が手元にあると
いうことで最新号と一緒におくってもらったもののようです。
 この7号 90年10月刊行の編集後記には、次のようにありです。
「 実はこの後記は書き直しである。去年の暮れの発行予定が、大幅に遅れたためで
ある。
 川崎彰彦さんは、昨年十二月、二回目の脳内出血で倒れたが、七月二十日、無事退院
された。病院のリハビリで覚えたワープロで、執筆を開始。新聞、雑誌にエッセイや
詩を発表。意欲旺盛とのことである。本号の『野鳥を訪ねて』最終回は、倒れる前の
ものである。」

 ちなみに、この7号には、定価100円、通し4号分 1000円(送料共)とあり
ます。この定価は14号くらいまでは入っていましたが、いまはなくなっています
ので、基本的には非売品ということになるのでしょうか。