海鳴り21号到着2

 編集工房ノア「海鳴り21号」巻頭におかれた小沢信男さんの「『リレハンメル
灯』のもとに」は、前半部がむかしのお仲間 宮川芙美子さんが刊行された作品集
リレハンメルの灯」の出版記念会に出席のお話で、後半部が大阪城公園にある鶴彬の
句碑をみた話と川崎彰彦さんのお見舞いをした話となります。
 そうか川崎彰彦さんは、入院生活を続けておられるのか。数年前までは「げんげ
書房」のホームページにエッセイなどを書いておられたのですが、最近はお店を
しめたとあったのは、介護の必要があったからですか。
小沢さんが川崎さんのお見舞いをして「どうやらにぎやかな病室なのだ」とあるの
には、すこしほっとすることです。
 小沢さんが、「海鳴り」への寄稿を依頼されたのは、この出版記念会の二次会の時
であるとのことですが、この「海鳴り」あとがきで、涸沢さんは、次のように書いて
います。
「 今月巻頭の小沢信男さんには一度会っていたが、小沢さんは覚えておられ、うれし
かった。文中に名前がでてくる三好三千子さんの『青桐の家』の出版記念会で。横浜
山下公園に近い小さな海岸ホテル。1995年10月29日。記録を見ると発起人は、
小沢信男さん、島京子さんの二人。わたしは島さんと午後一時、新大阪駅東口で待ち
合わせ新幹線に乗っている。山田稔さん竹内一雄さんもこちらから出席されたが別行動
だったと思われる。・・・・・・・・・
 竹中正は、『リレハンメルの灯』宮川芙美子と大阪文学学校69〜70の同期生。
私も。」
 涸沢さんは、この最後にありますように大阪文学学校の卒業生です。
この「海鳴り」というのは、涸沢さんの文章を目にすることができるほとんど唯一の
場所です。今回は、「舞鶴」つながりで詩人「三好達治」と佐谷和彦(佐谷画廊主)の
関わりについて書かれていますが、この涸沢さんの文章も「海鳴り」の宝であるように
思います。