編集工房ノア「海鳴り」

 この一週間くらいに手もとに届いたものなどを記することにいたします。
 編集工房ノアから「海鳴り」22号をいただきました。いつもありがとうございます
と大阪の方向をむいて最敬礼をいたしました。昨年の21号には、小沢信男さんが文章を
寄せていまして、小沢さんがとりあげていた本を早速注文することになったのですが、
今回の22号では、どの文章で取り上げられている本を購入することになるでしょうか。

 編集工房ノアといえば、川崎彰彦さんが「ノアはぼくのホームグランドだから」と
いった版元でありますので、川崎さんにとっても特別な意味をもつところです。今回の
号では、川崎彰彦さんのご長男である川崎与志さんが文章を寄せていらっしゃいます。
「1976年春、わたしは母とともに大阪府茨木市から北海道函館市へ向かった。」と文中
にありますが、ちょうどこのころに川崎さんから葉書をいただいていて、むすこは函館
の高校に入学したとあったように思います。( 記憶違いであるかもしれません。函館
の高校を卒業して京都大学に入学したという話しであったかもです。これに続いて、
「あなたも大学は京都でしたね。」とあったように思います。「こちらは京都の大学
で、ご子息とは違います。」とは返事しませんでした。)
 この息子さんのことは、ずっと気になっていました。川崎さんが亡くなった時に喪主
は長男のとあった時に、息子さんが健在であることを知った次第です。川崎さんの追悼
の集まりの時に、息子さんが参加したというような事を眼にして、川崎さんと息子さん
は、切れていなかったのかと思ったのですが、まさかこんなに早くに、息子さんの
文章を眼にすることができるとは思ってもみませんでした。
 これも編集工房ノア 涸澤さんの人徳のなせるわざでしょう。