山猫忌 2 

 4月19日は、長谷川四郎さんの亡くなった日でありまして、これにちなんだ本を
手にすることにしています。小生のところには、そこそこ長谷川四郎さんの著書や
関係する本があるのですが、これもご多分にもれず積んどく状態であったりするので、
棚卸しのような気分でチェックをするのでありました。
「 長谷川さんとのおつきあいは中に花田清輝という人がいたのである。それも氏が
亡くなってからであるように思う。・・・
 長谷川さん満鉄の調査部にいらしたようであすこには面白い人物が集まり一種、
自由な空気を創りだしていたらしいから、そのなかで静かに戦争の嵐の引くのを
待っていらしたと考える。しかし戦争に出征して苦労されたのであろう。それも
全集によって知った。
 長谷川さんが案外早く世を去られたのは、まことに残念である。氏の仕事を待って
いる人が多かったのに働き過ぎかとも思う。私と長谷川氏を引き合わせて花田氏も、
私とさほど年が違わないのに先に世を去った。
 最近、私の数少ない支援者が次々と亡くなられて、こんな淋しいことはない。
 芝居を書いていても花田氏が居ないことが、ひどく悲しいのである。彼だったら
何というだろうなんて考えているのだが、長谷川氏にしても同じことである。」 
 上に引いたのは、1988年(昭和63年)7月に刊行された「新日本文学
特集「これから長谷川四郎」によせた「飯沢ただす」さんの文章の一部であります。
飯沢さんは、この文章のなかで「さほど年が違わない」と記していますが、この
飯沢さんも、1909年生まれで、花田清輝長谷川四郎さんと同年生まれでした。
 飯沢さんは、ずっと喜劇にこだわって書き続けたのでありますが、これを終始
支援したのが花田清輝さんであることがわかります。