山猫忌 3

 「新日本文学」88年夏号は、「これから長谷川四郎」という特集を組んでいます。
小沢信男さんの編集でありまして、これ以後、長谷川四郎さんについて、これ以上の
特集は組まれたことがないでしょう。
 この同じ号には、ひっそりと菅原克己さんの追悼がのっているのですが、亡くなった
あとに、この菅原さんを追悼する「げんげ忌」というのがはじまって、もう20年も
たつというのに、ますます盛んでありますが、山猫先生を追悼する催しは、どちらで
されているのでありましょう。
 「これから長谷川四郎」特集には、いまは亡くなってしまった人々が四郎さんの
追悼文を寄せています。詩人の関根宏さんが、エッセイ集「山猫通信」を話題にして
います。
「 ビスコンティの映画『山猫』に出てくる山猫は、広大な邸宅をもつ男爵の異名で
あったが、『山猫通信』の山猫は長谷川四郎そのひとのことだ。このタイトル命名の
由来は、『ユリイカ』から毎号10枚くらいの散文を頼まれ、『題名はなになに通信に
するといい』といわれて、翌日の新聞で、フランスのどこかの町の工場で『山猫スト
がおこなわれているという記事を読み、そうだ『山猫通信』にしようと山猫は決めた
のである。
 山猫ストは本部の指令に従わないで勝手にやるストのことで、統制違反だが、官僚的
規制に対するやむにやまれぬ反逆でもあり、ガンジガラメの管理社会の拘束に風穴を
あけるかも知れない。
 アナキストブランキーストのそしりを受けるかもしれないが、たいへん自由人ら
しい発想である。」

 「そうだ山猫通信にしよう」というのは、単行本に収められている四郎さんの文章の
なかにあるものですが、最後の連載となったのは、「コントやまねこ」でありまして、
自分でも山猫というのを気にいっていたのでありましょう。