埴谷雄高さんで思い浮かべることというと、むずかしい小説を書いていたこと、
スリムでダンスを趣味としていること、般若というめったにないのが本名で
あったことでしょうか。
彼にまつわるエピソードで、「変人」にふさわしいものを聞いていたり、しって
いたろうと思うことです。文春文庫「変人」には、次のようなくだりがありました。
「 いくらなにか思想があったとしても、奥さんに三回も四回も子供をおろさせる
のは、人間として許せなかった。そういういろいろなことがありました。・・・
埴谷さんのことについてはまだ心の整理ができていません。思い出すことが
多過ぎてきりがないんです。」(ご近所に住んでいた女性で、1歳年下、
埴谷さんからプロポーズされたとか。)
奥さんに何回もというのは、どこかで聞いたことがある話と思ったら、これは
澁澤龍彦さんの逸話でありました。「おにいちゃん」かで、矢川澄子さんが書いて
いたのではなかったろうか。澁澤さんの場合も、やはり「思想」のせいでそうなった
のでありましょう。
ずいぶん前にピアニスト高橋あきさんのインタビューを読んだ時に、彼女は、これ
からの時代に悲観しているのでこどもは残さないといっていたように思います。
これもやはり思想というのでしょうか。彼女のパートナーは音楽評論家の秋山邦晴
さんでありました。
普通の尺度ではかりますと、ずいぶんとかわっているようではありますが、
変わっているひとばかりのなかにおくと、埴谷さんは、奇矯な人ではなかったように
見えるのであります。
作家の中村真一郎さんは亡くなる二ヶ月前にインタビューに答えています。
「『近代文学』創刊号で『死霊』を読んだ途端、日本の文学を作り変える新しい人間が
出てきた、と強い感銘を受けた。しかし人間的に変わっているから惹き付けられる
といった印象はない。戦後の中までは岡本太郎なんて無茶苦茶だし、武田泰淳は
仏教徒で面白い人だったりいろいろな人物がいたが、そのなかで埴谷はどこか
普通の人間といったような感じだった。戦後の激しい時代だったからみんな乱れて
暴れてひどかったのだけど、埴谷は実に紳士だった。お坊ちゃんだからね。」
変人ばかりのなかにいれたら、けっしてそのなかで群を抜いて変人として目立つ
存在ではなかったように思います。