高原好日 7

 加藤周一さんの「高原好日」を見ていましたら、久しぶりにその名を目にしました。
その昔は、リランさんと呼ばれていたのですが、この本のなかでは「リーラン」と
表記されています。その名前は「李香蘭」を思いださせるものです。
「 リーランはニューヨークの画家である。初めてあったのは、いつどこでのことで
あったか、いまは覚えていない。彼女も私も動いていた、ニューヨークから東京へ、
東京から信州へ、さらに中国や台湾やベルリーンやロス・アンジェラスヘ。
彼女が信濃追分の私の家へ寄ったのは、池田満寿夫の故郷の長野へ向かう途中だった
のかもしれない。」
 リーランさんを小生が記憶しているのは、一時期、池田満寿夫さんのパートナーで
あったことからであります。才能豊かな池田さんのことについては、この本のなかで
も別にとりあげていますが、池田満寿夫さんのパートナーのなかでは、一番リーラン
さんが好ましく思えておりました。(池田満寿夫さんが亡くなってからか、池田さんは
若い頃に結婚をして、その奥さんとの離婚が成立していないがために、そのあとは、
法律による婚姻はできなかったと読んだ記憶があります。この最初の奥さんは、
もちろん富岡多恵子さんではありません。)
「 マスオは素晴らしい料理人でもあり、客をもてなすのに温かかった。私自身を
含めてみんなが彼を好み、みんなが芸術や文学やいくらか無政府主義的な政治的意見を
語っていた。リーランとマスオと仲間たちは、私が米国で経験したもっとも素晴らしい
集まりの一つである。マスオの温かく開放的な性格がなかったら、その集まりは成り
たたなかったにちがいない。」
 池田満寿夫さんが一番よかったのは、この時代なのでしょうね。なにも、あんなに
忙しくしなくてもよかったのにと、彼のために「成功による多忙」を残念がっています。
 池田満寿夫と別れたあとのリーランはどうしているのでしょう。イーストハンプトンの
あと、池田満寿夫と会う機会は多くはなかったとありますが、リーランとはどうなの
でしょう。「高原好日」を見ますと、リーランが先にきて、次に池田満寿夫が登場しま
すので、まずリーランを知って、ついでパートナーとなった池田満寿夫を知ったと
いうことでしょうか。
「 イースト・ハンプトンは海に近い。リーランのアトリエの周りで、私は波に洗われ
たような白いなめらかな小石を拾った。私はその小石を持ち帰って、鎌倉に住む共通の
友人、バーバラ・ヨシダ・クラフトに送った。バーバラは黒い小皿に水を満たしその
中に白い石を置いた。微妙に揺れ動く光を映して石は今も三人の間の友情を証言して
いるだろう。」
 バーバラとは吉田秀和夫人のことですね。
 リーランには、「余白のあるカンバス」という著作があります。70年代に朝日新聞
より刊行されました。当時の勢いで購入し、ひととおり目を通したように思いますが、
内容はまったく覚えておりません。自宅のどこかにあるはずで、こんど探してみること
にいたしましょう。池田満寿夫でさえ、最近は名前を聞かなくなっているのであり
ますからして、一時期その方のパートナーであった米国の画家が忘れられてもいっこうに
不思議なことではありません。