龍が2人

 今月の新潮社「波」3月号の表紙は、グランドピアノに頬杖をついている男の子の
ポートレートであります。いかにも気難しそうに写っていまして、これは教授こと
坂本龍一さんの7歳当時の写真でして、いかにも擅断は双葉より芳しというかんじ
です。考えようによっては相当にエリート臭がする写真でして、封印しておきたいと
思うようなものですが、こういうのが公開されるのも、メジャーとなったからであり
ましょうか。
 この「波」のなかには、ほかにも3歳当時、タクシーのなかで写したとおぼしき
写真がありますが、こちらはもうすこし素直な表情でして、ほっとするのであります。
坂本龍一さんのwikipediaは相当にくわしい記述となっていますが、タクシーにのって
いる写真のころは、自由学園系の「幼児生活団」に通っていたはずで、その幼児生活
団の雰囲気を雰囲気をしる人からは、坂本龍一さんは扱いにくい事はなかったのかなと
いう声がでておりました。
 坂本龍一さんが「波」の表紙を飾っているのは、「音楽は自由にする」という自伝の
ような本を刊行したからであります。

音楽は自由にする

音楽は自由にする

 これは、新潮社からでている雑誌「エンジン」に連載されていたのだそうです。
かって「NAVI」という雑誌の編集長を勤め、自動車文化雑誌をつくりだした鈴木正文
さんが聞き手を務めたとあります。坂本龍一さんにとっては、きっと話がしやすかった
のでありましょう。
 この「波」では巻頭で村上龍と対談をしているのですが、これのタイトルは「村上
龍の知らなかった坂本龍一」となっています。
この二人が、そんなに付き合いが深かったとは知らなかった。
村上龍が語るには、次のようになります。
「 坂本と俺って、同世代どころじゃなくて、同い年で、しかも誕生日が一ヶ月しか
違わないんだよね。だから、見てたテレビ番組なんかもだいたい一緒なんだよね。
この本を読んで改めてそれがわかった。坂本も『コンバット』見ていたのか、とか。」
 坂本龍一村上龍は、ともに1952年生まれで、干支はたつ年でありました。
それで龍となるのかどうかですが、かたや伝説的な編集者の息子で、もう一人は
高校教師の息子ですが、親は息子に龍之介と名付ける。ともに早熟で、高校時代に
学生運動を経験している。いまでもとんがっているのは、坂本龍一のほうであるように
感じますが、それは村上龍が太ってしまったからかな。