最近購入した本を中心に、机のまわりに本の山ができています。
買った本に関連するものを、ほかのところから持ってきたりするものですから本
の山は高くなりがちであります。本を読むよりも、本の山をつくるのに熱心である
のは困ったことです。
岩阪恵子さんの「わたしの木下杢太郎」の巻末には主な参考文献というのがついて
いまして、それをみますと、ここに掲載されているものを取り出してきてみようかな
という気分になります。
- 作者: 岩阪恵子,県立神奈川近代文学館
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/09/10
- メディア: 単行本
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ようになったとあります。中野重治さんにはそういう文章があったのか、確認をして
みることにしよう。当然ながら、このリストには杉山二郎さんの「木下杢太郎」と
いう本とか、加藤周一さんのものもあがっていました。
この主要参考文献に掲載がなくて、気になる文章は林達夫さんの「反語的精神」で
あります。「歴史の暮方」の巻末におかれた「反語的精神」は、一筋縄ではいかない
手強い文章です、読みやすいせいもあって、わかったように思えるのに、さっぱり
理解できていなくて、何度も読み返すことになります。
この「反語的精神」の冒頭のところは、次のようになります。
「木下杢太郎さんが亡くなって間もなく、あなたは私に向かって同氏についてひとつ
の文章をかくことを求められました。あなたの意見によると、この稀に見る文化人の
真価が今の青年たちにはさっぱりわかっていないから、ぜひ彼らの前にその解明をし
てやる必要があるというのだったと思います。あなたは光栄にも私をその適任者だと
言われました。木下杢太郎さんがずばぬけてえらい文化人だったという御説には私も
同感ですし、また同氏の死を機会にその全著作を読み直してみたいという希望もあっ
たので、自分がその任にあるかどうかは別として、私はあなたのすすめを軽い気持で
引き受けてしまいました。」
と書き出してから、木下杢太郎論を書くことができないことの背景を記していくの
が「反語的精神」なのですが、この部分は木下杢太郎さんの存在とどのように係わる
のかがわかりません。まるで係わらないようにも思えるのですが、「反語的精神」と
いえば、木下杢太郎さんを思い浮かべるようになっています。
ちなみに林達夫さんの「反語的精神」の最後は、「木下杢太郎論は、いずれ心身
が回復してから、じっくり書かせてもらいましょう。どうもまだ頭が少しへんなよう
だ。」となります。
発表されたのは1946年6月のことですから、「頭が少しへん」というのは戦争の影
響となります。
- 作者: 林達夫
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1976/06/10
- メディア: 文庫
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